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中国の対米外交「キッシンジャー頼み」の的外れ なぜ中国は彼を死の直前まで重視し続けたのか

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2023年7月に訪中して習近平国家主席と会談するキッシンジャー氏(左)。中国ではキッシンジャー氏は米中関係の「アイコン」だった(写真:ロイター/アフロ)

11月30日(日本時間)、ヘンリー・キッシンジャーが死去した。冷戦中の1971年、アメリカの大統領補佐官として極秘訪中し、米中対立の氷を割って和解を進めた人物だ。享年100歳。

中国はすぐさま反応した。外交部の記者会見では報道官がキッシンジャーの「歴史的貢献」に言及。夕方までには習近平国家主席が、キッシンジャーの親族でもないバイデン大統領に個人的な弔電を送った。習は故人が「卓越した戦略的ビジョン」の持ち主だったと絶賛した。

そして「中国は、中米人民の友好的な営みを継承し、中米関係の健全で安定した発展を推進して両国人民に幸福をもたらし、世界の平和と発展に応分の貢献をするため、アメリカと協力する用意がある」と持ちかけた。

習近平が弔電に込めたメッセージ

なぜ習はバイデンに弔電を送ったのか。それを理解するには中国におけるキッシンジャーのアイコン的地位を知る必要がある。米中和解を主導したのはニクソン大統領(当時)だった。だが彼がウォーターゲート事件で失脚したため、その後も対中接触を続けたキッシンジャーが米中友好の象徴になった。

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