妙味で知られる「三元豚」。その生みの親で平田牧場を興した新田嘉一は、いち経済人として、中国との輸送航路を切り開いた北方のパイオニアだった。
新田嘉一と同じ酒田出身の写真家、土門拳を「逆白波(さかしらなみ)のひと」と評したことがある。
新田や土門と違って内陸だが、やはり山形県を故郷とする歌人の斎藤茂吉は、日本三急流の1つ、最上川が酒田の河口に注ぐ光景を次のように詠んだ。
ふぶくゆふべとなりにけるかも
日本海から吹きつける風が流れに逆らって白波を立てる。それを茂吉は逆白波と呼んだのだが、これは茂吉の造語である。
茂吉も土門も、そして新田も、運命に従って生きた人ではなかった。むしろそれに逆らい、あらがって生きた。
祖母の一言が後押し
第1の逆らいは、稲作農家の長男の新田が跡を継がないと宣言したことだった。当時それは無謀な宣言だった。稲作ではなく畜産に生きるというわけだが、新田以外の周囲の人間にとってはとてつもなく非常識な話だったのである。
まず、父親が頭から反対した。親族会議でも、とんでもないと新田を怒る意見ばかりである。
そのすさまじい反対の嵐の中で、
「嘉一の好きなようにさせてみれ」と言ったのが祖母だった。
父親もおばあちゃんには頭が上がらず、たった一人の賛成意見で新田の願いは辛くも認められた。
おばあちゃんも、見通しがあってそう言ったのではないだろう。必死の思いで希望を打ち明ける孫の姿に打たれたのに違いない。
「女は強い。男と違って妥協しないですから」
感謝を込めて、いま新田はしみじみと述懐する。
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