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「金華豚」を中国から持ち込んだ新田嘉一の矜持 ひと烈風録①「平田牧場」創業者に佐高信が迫る

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もちろん新田とて、ただ、やみくもに稲を捨てようとしたのではなかった。東京大学農学部で農業経済学者の東畑精一に学び後に酒田市長になる小山孫次郎や、そのおいで後援者の本間病院院長、本間誠らとの交友の中で、これからは畜産が大切と思うようになったのである。

チャレンジ精神で革新に共鳴

小山は社会党と共産党の革新統一で市長になった人であり、本間はまごうかたなき共産党員だった。

しかし、新田はそんなことにこだわらない。日本国憲法が大事と「九条の会」を庄内地方で発足させ、90歳を過ぎた今も、この憲法を変えようなどという人間はおろかだと語気を強める。

「戦争はみじめさしか生まない」ことを骨身に染みて知っている新田は、中国との哀(かな)しい歴史を平和の歴史に変えるために「東方水上シルクロード航路」の開設に力を注いだ。奇跡としか言いようのないこの航路については後述する。

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