「日本舞台の人気ゲーム」新作が海外で炎上のなぜ 考えなしに多様性に「屈する」ことのリスク
ファンによるSNSへの書き込みはこんな具合だ。
「弥助が主人公であることに問題はない。私が問題にしているのは、現実に起きている歴史修正主義だ。10代に媚を売るDEIコンサルタントのせいで、彼は一夜にして家臣からサムライになってしまった」
「アサシン クリードが日本を拠点にしているのに、日本人の男性主人公を使わないなんてバカだ。アフリカを舞台にしているのに、白人男性を主人公にするのと同じくらい間抜けだ」
前述の通り、弥助の地位に関する疑問は、本質的に答えがない。Ubisoftは弥助を主人公に選んだとき、このことを考慮したと思われる。弥助の冒険を、歴史的に正確である必要なく(Netflixがアニメを作ったときと同じように)、創造的であると同時に柔軟性を持たせられると考えたのだろう。実際、同社のサイトでは、弥助に焦点を当てることに決めたのは、「彼を取り巻く疑問や臆測がまだたくさんあるからだ」とクリエイターたちが述べている。
Wokeに対する反発はつねにある
Ubisoft自体は、日本を舞台にしたゲームの主役が日本人ではなく、黒人であることが注目され、批判を浴びる可能性があることを予想していただろうか? 昨今の状況を考えれば、もしそうでなければ驚くべきことだ。Woke的なものに対する反発は、実は何年も前からメディアにつねに存在している。
もっとも、注目を浴びるために論争を利用することは新しいことではない。これについては、2つの有名な言葉が思い浮かぶ。1つは、アメリカの有名な興行師、P.T.バーナムの「悪評も宣伝のうち」という言葉である。そしてもう1つは、著名作家、オスカー・ワイルドのこの言葉だ。「世の中で話題になっていることより悪いことは1つしかない。それは話題になっていないということだ」。
もし今回の炎上が意図されたものだとしたら、ミッションは成功したと言える。少なくとも海外のネット上では、「アサシン クリード シャドウズ」の話題で持ちきりだ。
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