JR東日本が変えた「ジャカルタ通勤鉄道」の10年 初代現地出向者に聞く海外鉄道ビジネスの現場
――前田さんがインドネシアでの在任中に、ジュアンダ駅(KCIの駅の1つ)で205系同士の追突事故がありました。
その時、ちょうど真下(筆者注:ジュアンダ駅下のKCI本社オフィス)にいた。当時は着任してまだ半年くらいだったが、乗務員に聞き取りなどを行った。事故があっても担当のディレクターだけ異動させて処理してしまい、それで終わりというところがあった。ブレーキが利かなかったなどであれば我々にとっても不安だ。
――インドネシアでは、責任者の首を飛ばして終わりにし、根本的な原因究明がおざなりにされる傾向があります。JRの方が常に張り付いていることは意義があると思いました。
国民性もあるし、日本のやり方そのままというのはちょっと気を付けながらだが、やはり事実は把握したい。その後どう処理していくかは国に従った形であると思うが、事実を知らない限りは次につながらない。そこだけはやらせてくれという話を当時していた。
JR東にとってインドネシアの位置付けは?
――前田さんの帰任後も、JR東日本からKCIへの出向は継続しています。今では、インドネシアにはグループ会社のJR東日本テクノロジー(JRTM)やJR東日本商事の事務所がありますが、まずJR東日本本体が進出して、グループ全体を動かしていくというイメージでしょうか。
私が行かせていただいた2015年頃、さらに言えば2014年にMoUを結んだときからしても、現在のこの形を想像していたかといえば想像しきれていないところが多々あった。やはりインドネシアの方々のニーズに合わせた形で、かつ我々ができるところ、やりたいところの形が何なのかを日々模索しているというのが現状かもしれない。ニーズがある限り、我々としてはこれからもどんどん出ていきたい、発展していくところに力を割いていきたいというのが本音だ。
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