JR東日本が変えた「ジャカルタ通勤鉄道」の10年 初代現地出向者に聞く海外鉄道ビジネスの現場

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――前田さんがインドネシアでの在任中に、ジュアンダ駅(KCIの駅の1つ)で205系同士の追突事故がありました。

その時、ちょうど真下(筆者注:ジュアンダ駅下のKCI本社オフィス)にいた。当時は着任してまだ半年くらいだったが、乗務員に聞き取りなどを行った。事故があっても担当のディレクターだけ異動させて処理してしまい、それで終わりというところがあった。ブレーキが利かなかったなどであれば我々にとっても不安だ。

――インドネシアでは、責任者の首を飛ばして終わりにし、根本的な原因究明がおざなりにされる傾向があります。JRの方が常に張り付いていることは意義があると思いました。

国民性もあるし、日本のやり方そのままというのはちょっと気を付けながらだが、やはり事実は把握したい。その後どう処理していくかは国に従った形であると思うが、事実を知らない限りは次につながらない。そこだけはやらせてくれという話を当時していた。

筆者注:不幸にもこの衝突事故により、損傷を受けた12両の205系は廃車、解体となってしまったが、それ以外は重篤な車両故障で4両が長期にわたって営業から外れている以外は現役で、812両という数が譲渡された中でこの稼働率は驚異的といえる。それは、単に車両を譲渡するだけではなく、車両維持管理・検査サイクルの適正化、現場の技能や意識向上、スペアパーツの純正品回帰や供給ルートの確立など、共に考え、ときには議論し、得た大きな成果である。
従来の日本のODA的な支援はハコモノをつくっておしまい、車両を入れておしまい、メーカーの2年の保証期間が過ぎたらあとは勝手に、というのが基本スタンスだった。実際、日本は1970~1980年代に東南アジアや南米、アフリカなどの案件を受注したものの、車両はすぐにダメになり、線路もガタガタで、その後継をいつの間にか中国に取られていたというのが世界的な流れだ。そんな中、JR東日本のインドネシアでの取り組みはこの流れに風穴を開けた格好だ。一民間企業がここまで行ったのは英断であるとともに、車両メーカーではなく鉄道事業者だからこそ成しえたことといえる。

JR東にとってインドネシアの位置付けは?

――前田さんの帰任後も、JR東日本からKCIへの出向は継続しています。今では、インドネシアにはグループ会社のJR東日本テクノロジー(JRTM)やJR東日本商事の事務所がありますが、まずJR東日本本体が進出して、グループ全体を動かしていくというイメージでしょうか。

私が行かせていただいた2015年頃、さらに言えば2014年にMoUを結んだときからしても、現在のこの形を想像していたかといえば想像しきれていないところが多々あった。やはりインドネシアの方々のニーズに合わせた形で、かつ我々ができるところ、やりたいところの形が何なのかを日々模索しているというのが現状かもしれない。ニーズがある限り、我々としてはこれからもどんどん出ていきたい、発展していくところに力を割いていきたいというのが本音だ。

2014年 インドネシア 205系横浜線
現地化改造中の元横浜線205系=2014年8月(筆者撮影)
JR KCI 訓練 インドネシア
JR東日本によるインドネシアの鉄道スタッフ訓練の様子(写真:JR東日本提供)
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