「慶応行きたくて断食」戦後支えた偉人の仰天行動 著名な3人の実業家たちのヤバイ勉強法を紹介
一念発起したカーネルは、ガソリンスタンドの経営に乗り出しました。そして、ドライバー目線で「何が喜ぶか」を徹底的に考え抜いたのです。
そして、それまでどのスタンドもやっていなかった車内の掃除も率先して行い、タイヤの空気のチェックから道案内まで、考えつくかぎり、どんなサービスでも実行したのです。
その結果、ガソリンスタンドは大評判に。その後は「お腹が空いたドライバーのために……」と始めた食事のサービスをきっかけに、65才でケンタッキーフライドチキンを創業。自分の頭で考え尽くした「こだわり」を武器に、世界的企業へと成長させていきました。
インスタントラーメン生みの親が越えたハードル5つ
日清の創業者である安藤百福は、世界で初めて「インスタントラーメン」を開発しました。幼いころから「自分の頭で考える」ことが習慣づいていたからこその快挙でしょう。
早くに両親を亡くした百福は、おじいちゃんに育てられました。おじいちゃんは繊維問屋を経営していましたが、百福には兄が二人いたため、家業を継ぐという選択肢はありません。自分の道を切り拓くべく、級友の紹介で、百福は図書館の司書として働きます。
でも、百福の夢は「経営者になる」ことでした。そのため、職場の図書館で、さまざまな新聞や雑誌に目を通し、政治、経済、社会など多岐にわたる分野の知識を吸収していきます。そして、ある商品に目をつけたのです。
「メリヤスか……」
メリヤスとは、手袋、靴下、肌着などに使う、柔らかくて伸び縮みする織物のこと。百福は22才で独立して、メリヤスの会社を立ち上げます。すると、徹底的な事前のリサーチが実を結んで、メリヤスは飛ぶように売れました。
経営は順風満帆でしたが、戦争の勃発で状況が一転し、商売は立ち行かなくなります。敗戦後は、荒れ地で呆然とする生活を送るなか、ラーメンの屋台に並ぶ人々の姿に、百福は目を奪われます。
「一杯のラーメンのために、人々はこんなにも努力をするものなのか」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら