日本代表GK権田はFC東京で何を学んだのか DF吉本との同期対談でJ屈指の育成力を分析
――現在のトップチームは、フィッカデンティ監督になってから試合中にシステムを変更することが増えました。そのときは選手同士で調整しているのですか。そこにユース時代の経験が生きているのでしょうか。
権田:それはそうですね。毎日パスの練習ばかりで対人練習をしなかったら、まずパスの相手を探していたと思う。そういう選手はシステムが変わったときに、パスを通す選手がいなくなって混乱する。ところが、普段から対人練習をしていると、自分と相手と味方とその味方に付いている相手と、という中で局面をとらえられる。
そういう風に見ることができると、何が相手にとって嫌なのか、自分の目の前の相手ではなく、味方に付いている相手に対して何が嫌なのかと、見られるようになる。それが対人練習をやるいい面だし、うちの育成の選手が伸びた部分だと思う。
逆に、考えてできない選手は対人練習をやっても何も考えてやらないから、伸びない。伸びないし、ただ1対1を仕掛けて終わってしまう。ちゃんと考えてやっているうえで、そういう練習をするから、いい効果が出る。
FC東京育ちだから代表になれた
――プロに入ってから、権田選手はFC東京一筋、吉本選手はほかのクラブを渡り歩いてFC東京に戻ってきました。そのキャリアの中で、育成時代の練習が生きた面は?
吉本:昔からチーム愛を植え付けられていたので、ほかのチームからオファーが来たときも、FC東京でやることより今は違うところで経験を積んで、レベルが高くなってからFC東京に貢献したほうがいいと考えて、移籍を選んだ。もちろん、一方でチームから必要とされていないという悔しい気持ちがあったし、絶対見返してやるという気持ちもあった。でも、FC東京でプレーしたい気持ちがすごくあった。
そういう意味で、U15の頃から植え付けられたチーム愛があるからこそ、移籍している間も、FC東京で活躍するためにという気持ちを常に持ち続けて、プレーしていた。そこで出られなかったら、サッカーを辞めようと思っていた。植え付けられた気持ちがFC東京に帰ってこられた原動力になった。いろんな人に支えられたし、恩返ししていきたい。
権田:いろいろ含めて、このチームに育ててもらったという気持ちがある。ほかのチームの下部組織に入っても、プロにはなれたかもしれないけれど、日本代表にはなれなかったと思う。プロになって、それまでの積み重ねがない選手は、そこから先が短い。でも、FC東京の下部組織で本当にいろいろな経験をさせてもらった。
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