末期がんで余命半年、名物映画Pの豪胆な死に支度 叶井俊太郎が「異色の対談集」を出したワケ
その哲学をより精鋭化させるため、叶井氏は2004年に映画配給会社トルネード・フィルムを設立。『いかレスラー』(2004年)や『日本以外全部沈没』(2006年)など、盟友・河崎実監督の「迷作」を世に出したものの、2010年には負債総額3億円で会社を倒産させてしまう(その後、さまざまな会社を渡り歩き、たどり着いたのが前出のエクストリームだった)。
その間に『だめんず・うぉ~か~』(扶桑社)などの作品で知られるマンガ家の倉田真由美氏と結婚(バツ3の叶井氏にとっては4回目だった)している。
抗がん剤治療の成功率の低さに賭けられなかった
そして、2022年6月。突如として、余命半年を宣告されてしまう。半年ぶりに会うと、確かに痩せ細っていた叶井氏は、当時のことをこう振り返る。
「2022年5月頃から顔色が悪くなった。かなり黄色くなっていたらしく、会社のみんなから『顔色悪いよ』言われたから、病院に行ったんだ。
そこで、内視鏡検査を受けたところ、2回目の検査で医者から『影があるから奥様と来てください』と呼び出されてしまった。『これは何かあるぞ』と思っていたら、いきなり『膵臓がんが発覚しました』と言われたんだ。
くらたまと2人並んで聞いていたんだけど、俺は『へー』と思って『余命は?』と聞いてみたら、『半年持つか、持たないか……』だってさ」
膵臓がんの告知に対し、内心『へー』で済む者もなかなかいないだろう。
また、病気といえば、彼は2020年に心筋梗塞で緊急入院している。さらに2021年には新型コロナウイルスに感染して、生死をさまよった経験もある。膵臓がんのステージ3が発覚したのは、2022年6月のことだ。症状が出にくく、進行して黄疸などの症状が出てくることで知られる病気だが、それまでの入院や検査で、発見されなかったのだろうか?
「見つからなかったね。というのも、心筋梗塞だったから、内臓の検査はしなかったんだ。
だからかな? がんが見つかって『余命半年』と言われたときも、ピンとこなかったのは。普段から身体的な痛みがあったり、調子が悪いということもなかった。だから、なんとも思わなかったんだ。
でも、そこから2年ぐらい吸ってなかった、タバコも“再発”したね。医者も『好きにしていいよ』と言って、何もやめなくなった」
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