「新幹線」めぐる愛国主義に揺れた日中の30年 『鉄道と愛国』吉岡桂子氏に聞く

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『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』著者の□岡桂子氏
[著者プロフィル]吉岡桂子(よしおか・けいこ)/ジャーナリスト。1964年岡山県生まれ。山陽放送アナウンサーから89年に朝日新聞記者に転じる。中国に通算8年間、米国に1年、タイに3年半駐在。今秋からは朝日新聞を休職しハンガリーのコルヴィヌス大学で客員研究員に。ユーラシアの視点から日中関係の考察を続けている。(撮影:今井康一)
練達の中国経済ウォッチャーである著者は、北京、上海、そしてバンコクの特派員として日本の新幹線輸出を追い続けてきた。商戦の舞台はいずれも新興国。日本から新幹線の技術を導入した中国は高速鉄道大国に化け、テクノナショナリズム(技術愛国主義)が両国関係に色濃く影を落とす。
『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』(吉岡桂子 著/岩波書店/2860円/312ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

──新幹線商戦を追いかけて30年弱。執念の取材の集大成ですね。

新聞記者として1995年に旧運輸省を担当したとき、整備新幹線をめぐる取材合戦が白熱した。農道や水路など農業インフラより予算規模ははるかに小さいのに、注目度はずっと高い。同時期に新幹線の輸出プロジェクトも進んでおり、新幹線が日本のシンボルと見なされていることを実感した。まさに日本経済の成功体験が集約された存在だからだろう。

──日本の官民はそろって中国への新幹線輸出にのめり込みました。

日本側は「円借款で援助してでも中国に日本の新幹線を走らせたい」という願望が強かった。その裏には「中国の技術が日本を追い越すことはない」という思い込みがあった。中国の経済が大きくなることへの期待はあったが、産業技術がここまで発展すると考えていた人は当時少なかったはずだ。

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