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「肥満の大将」と呼ばれた戦国武将の"驚きの最期" 肥前の龍造寺隆信の最期、一体何があったのか

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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その後、隆信はすさまじい勢いで台頭する。九州北部を支配下に置いた大友氏を撃破。肥前・肥後・筑前・筑後・豊前の5カ国にまで勢力を伸ばした。

しかし、である。このあたりで隆信の電池が切れてしまった。隆信は政務を怠り、詩歌管弦や猿楽など遊興にふけるようになる。軍師として支えた義弟の鍋島直茂はこれを諫めたが、うるさく思った隆信から筑後へと飛ばされてしまう。酒や女に溺れた隆信は、体格も「肥満の大将」と呼ばれるほどに太った。

太りすぎて馬に乗れなかった

そんななか、有馬晴信・島津家久との合戦「沖田畷の戦い」が起きると、隆信は、太りすぎて馬に乗れず、家来6人がかつぐ駕籠にのって登場。そのうえ、島津の兵を自分の兵だと勘違いして「隆信はここにいる。どこに向かって敗走しているんだ!」と罵ったことで、相手に気づかれて槍で突き伏せられている。

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なんとも情けない最期だが、家康やビスマルクのように野心を持ち続けるだけが人生ではない。物心ついた頃から戦に明け暮れた隆信が、40代~50代の中年期で、かつての情熱を失った気持ちは何となくわかる。

島津兵に首を斬られる前、辞世の句を問われた隆信はこう答えた。

「紅炉上一点の雪」

紅炉の上に置いた雪がたちまちとけてしまうように、私欲や迷いなどがすっかりとけている――。束の間の煩悩を楽しんだがゆえの境地だった。

おしまいから考える
今のうちに改善したい習慣は何だろう。

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