元テレ東Pの「佐久間宣行」が支持され続ける背景 ネトフリや地上波での新番組も手がけている

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最後発の民放キー局ということもあり、放送開始時から視聴率は低迷。他局の視聴率競争に加わる余地もないことから、長らく「振り向けばテレ東」と言われていた。他局に比べて制作費も少ないため、王道でなく“スキマ”を狙うよりほかない。そんな土壌が、佐久間のようなテレビマンを育んだと言える。

1999年に佐久間が入社して間もなく、テレビ東京はお笑い色の強い深夜バラエティーを模索し始めていた。ちょうど『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)がスタートした2001年のことだ。テレビ東京は、若手を中心とするネタ特番『ダチョウ&さまぁ~ずの若手で笑っちゃったよ!』を立ち上げた。

当時28歳だった伊藤隆行がプロデューサーを務め、4期後輩の佐久間がディレクターとして参加。テレビ東京にはお笑いバラエティーに特化したプロデューサーがいなかったため、若手にチャンスが回ってきたのだ。

「劇団ひとり」と「おぎやはぎ」との出会い

その番組オーディションで、佐久間の目を引いたのが劇団ひとりとおぎやはぎだ。この2組は、その後佐久間が初めて総合演出を務めた『大人のコンソメ』(2003年10月~2004年3月終了)、プロデューサーとして立ち上げた『ゴッドタン』と長らくタッグを組むこととなる。

とはいえ、『大人のコンソメ』に参加した当初は、先輩のスタッフたちが新人の佐久間に懐疑的な目を向けた。会議はもちろん、番組がスタートしても思うように動いてはくれず、現場の空気も悪かった。何とか信頼を得ようと、芸人1人がクイズに対する9つの答え(正解1つ、嘘解答8つ)を提示し、そのほかの芸人たちが正解を見破る「ポタージュ1/9」(後に「1/6」)という企画で勝負に出る。

首をひねるスタッフを押し切り、現場で試してみると嘘のようにスタジオが沸いた。これが突破口となり、会議や収録の空気も改善された。また初期のハネていない現場の編集にも最大限の力を注いだことで、おぎやはぎ・矢作兼から「ああいうふうに編集したんだ。あれいいね!」と信頼されるようになったという。(佐久間宣行著『できないことはやりません ~テレ東的開き直り仕事術~』(講談社)より)

ビートたけし、明石家さんま、ダウンタウンといったテレビスターに頼ることなく、伸びしろのある若手芸人と制作陣がチームとなって番組を作り上げる。そして、他局では組まれないような企画の切り口、制作の熱意こそが佐久間の持ち味となった。

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