女子バレー・中田久美、五輪敗退後の苦悩と再起 半年実家に引きこもりから、大学院で学ぶ道へ
古賀は前回の2016年リオデジャネイロ五輪で落選した経験がある。「育てなければいけない選手の1人でもあったので、ケガで終わらせていいのかと相当に悩みましたね」。
指揮官は選手を選ぶ立場。五輪本番のバレーボール登録選手はわずか12人。落選する人間は必ず出る。スター選手だった中田自身はそういう経験は少ないものの、久光製薬でチームを率いるようになってからはどの選手を入れるか落とすかの判断を繰り返し強いられてきた。それは彼女にとって大きな苦悩にほかならなかった。
「五輪メンバーが12人というのは選手たちはもちろん理解しているけれど、選外になった選手は引退まで考えることもある。私は東京五輪まで50人の選手を選考してきましたけど、毎年毎年、誰かを落とさなきゃいけない。本当につらい気持ちでいっぱいでした」と中田さんは本音を吐露する。
五輪後は公の場から遠ざかる
そういった人間臭いところが彼女のよさでもあり、時に冷徹になるべき指揮官としての弱さだったのかもしれない。
結局、古賀は懸命の治療の甲斐あって大一番・韓国戦で復帰。ケガを感じさせない闘志あふれるプレーでチームをけん引したが、フルセットの末、苦杯。最終戦のドミニカ共和国とのゲームを落とし、決勝トーナメント進出への道を断たれることになった。
「結果を出せなかったのは自分の力不足。もっとよくしてあげられたんじゃないかという不完全燃焼感が強かった」と責任を一身に背負った中田さんは代表監督を退任。2021年夏以降は公の場から遠ざかり、長野の実家に引きこもった。
「何も考えられないというか、八方ふさがりってこういうことかなと思いましたね。眠れないし、食べれないし、痩せました。体重も50キロくらいまでいったと思います。鏡に映るゲソゲソになった顔が怖くて、鏡を見れなかったほど(苦笑)。外にも出られず、母以外の人に会うことなく過ごしました。
2021年が終わり、2022年に入ってもそんな感じ。自室の窓から外の緑を見て、捨て猫を家族猫にするくらいしか癒やされる時間はなかったですね」と中田さんは明かした。
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