NHK柳澤さん、「後藤さんとの思い出」を語る

後藤健二さんの死がテレビに遺したもの

柳澤さんは1990年から1991年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残ってレポートした。アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局による検閲を受けながら英語で伝えた記者レポートは、各局のテレビ記者たちの間で今も語りぐさになっている。 

このコメントの件でメディア取材は受けてこなかった柳澤さんだが、『GALAC』の取材はとインタビューに応じてくれた。

撮ってきたものが出ることが大切

『GALAC/ぎゃらく』6月号の特集は「後藤健二さんの死がテレビに遺したもの」。現在、富士山マガジンで定期購読半額キャンペーンを実施しています

──後藤健二さんとはどのようなお仕事をされましたか?

2003年のイラク戦争で後藤君がクルド地域などを取材した素材を持ち込んで、NHKで番組化したのが彼と仕事でつきあうきっかけでした。でもその前にも何かの勉強会で彼から話しかけられて、紛争地取材とはどんなものか?と言葉を交わしたのが最初で、2000年より少し前だったと思います。

それから9・11、アフガニスタン、イラクと取材したものをNHKに持ち込んで番組で作品化する時に、すれ違いざまに会話をしました。一番仕事の密度が濃かったのは、イラク戦争が始まってからの数年間ですね。

──後藤さんのエピソードで一番心に残っているのは?

一番、僕が思うのは、後藤君というのはこういう事件の後でメディアのフォーカスが当たって、ある意味で言うと、英雄視されたり、神格化されるような雰囲気があるけど、そういうふうに言われるのを一番快く思っていないんじゃないかなってことです。

非常に控え目だったし、自分がこういうことになって、まわりから、自分のやってきたことを評価されるのはうれしいにしても、それ以上に持ち上げられることを、僕が知っている後藤君だったら、嫌がったんじゃないかな。きっと今会ったら、なんか頭掻きながら、「あー、やっちゃった〜」とか「どじ踏んじゃった〜」と言うぐらいの人だったというイメージを持っていました。なので「あさイチ」のなかでも、ああいうコメントをしました。

彼は「撮ってきたものが出ることが大切なんだ」と自分自身がテレビに出ることやリポートすることにはこだわらなかった。「撮ってきたものが今のイラクの実状を伝えるものであればそれでいいんです」と言っていました。自分で向き合っている紛争地、戦争の現実を取材する上での心意気を、そうした言葉から強く感じたことがあります。

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