「美術は美術室で学ぶもの」という枠組みを崩したかった
ICTを積極的に活用して新しい美術の実践に挑み続ける、教員歴17年の新井啓太氏。しかし自身について、「もともとはものすごくアナログな人間」だと話す。
「大学時代は油絵を専攻し、言葉やインスタレーションなど手法は問わず、表現そのものを探究する場で学んでいました。だから教員になった当初から、絵の具や言葉、自然など『多様な表現の材料』を扱いたいと思いましたし、他教科とも結び付けるなど『多様な学び方』も意識していました。中高生の頃、学校で一斉に同じことをやることへの違和感や、面白いことは学校外にあるという実感を抱いていたのですが、そんな原体験も大きく、『美術は美術室で学ぶもの』という既存の枠組みを崩す方法を模索していました」
その中で掲げたキーワードが、「教室を飛び出す学び」だ。まずはテーマだけ決め、校内の好きな場所でスケッチしてよいことにした。当初は「さぼってしまうのでは」という声もあったが、生徒が自然体で話をしてくれるようになり、表現も伸びやかになって作品のクオリティーがさらに上がったという。このとき、「ICTを活用すれば、活動場所や表現をもっと広げられるのではないかと考えました」と、新井氏は言う。
そこで新井氏は2016年、在籍していた相模女子大学中学部・高等部のメディア情報部主任となると、ビデオ会議システムを利用して、屋外で制作を行う生徒たちがつながる授業や、外部講師による遠隔授業などを実施。「生徒のサンドパフォーマンスをライブで見せるといったメディアアートのまね事や、Google Classroomを使った学びの蓄積なども始めました」と、新井氏は説明する。
しだいに美術史やデッサンといった既存の授業に「スパイス的にICTを組み合わせる授業」(新井氏)が増えていった。例えば「名画が唄う」と名付けた実践では、Google Jamboardに名画を年代別にまとめて美術史をたどる授業を行った後、生徒たちはその中の好きな絵をChrome Music LabのKANDINSKYというツールに模写。絵を描くと自動演奏が流れ、新たな表現を体験できる。
「地図文字タイポグラフィ」という実践も楽しそうだ。Google Earth Viewの衛星写真からアルファベットの形に見える地形を探し、そのスクリーンショットをトレースして文字の形の木工作品を作る。
ICTを使うと生徒たちの学びが深まることを実感した新井氏は、自らも教室を飛び出し学び始めた。AdobeやGoogleのセミナーを受講する中でICTを活用する教育者のコミュニティーがあることを知り、そのメンバーとの交流を通じてノウハウを模索していった。
さらに、自身の子どもと訪れた科学館で元・南極地域観測隊隊長の講演を聴いたことを機に、教員南極派遣プログラムに参加。昭和基地と学校を衛星回線でつないで南極の様子を伝え、生徒たちがそこから受けたインスピレーションを基に大きな絵を描き上げるというライブ授業も行った。
帰国後は学校勤務の傍ら、南極での体験を伝える活動を行うほか、学校外の教員仲間たちとコワーキングスペース「はじまる学び場。」の運営や教育コンテンツ開発などを行う「どこがく」という会社を立ち上げるなど、活動のフィールドを拡大。22年にはドルトン東京学園中等部・高等部に美術教諭として移籍し、高校生を対象にした学校設定科目の設計や、STEAM棟クラフトラボラトリーの教育展開も主導した。
新井氏は、ICTが特別好きだったわけではない。「わくわくするからと動き出してみたら、多くの人や機会に恵まれ、当初はできると思っていなかったようなことができるようになったのです」と振り返る。
「テンプレ依存」を懸念、問われる「クリエーティブな教育」
新井氏は、ICTを取り入れた手応えとして「学びの多様性を確保できる」点を挙げる。
「美術教育は制作が主になりがちですが、鑑賞者としての力を養うことも重要です。ICTを活用すれば、完成物だけでなく制作中の思考プロセスも記録して級友と共有でき、さまざまな視点からほかの生徒の作品を鑑賞したり意見を述べ合ったりできる。1人で完結せずに他者とつながれる、いわば『開かれた個人制作』が可能になるのです」
授業スタイルを変化させることも可能だ。遠隔授業はもちろん、例えば制作手法などのレクチャー動画を事前に撮影し、授業中はその動画を流しながら生徒たちの元を巡回する「1人チームティーチング」もできるという。
ただし、注意も必要だ。テンプレートに素材をはめ込むだけで発表ができる便利なICTツールが多いが、「生徒が少ない選択肢から選ぶだけの“テンプレ依存”が増加し、逆にクリエーティブな力が失われるという状況が起こり始めているのではないか」と新井氏は危惧している。
「今後、教科横断や学び合いにつながるようなクリエーティブな教育をいかに行うかがより問われるでしょう。Chat GPTなどテクノロジーの進展が加速する予測不能の時代においては、人が根源的に持っているものづくりの資質やデザインの要素が求められると思うからです。現在、美術教育にはスポットが当たりにくく、教員も1人教科ならではのさまざまな苦しさを抱えているという課題もありますが、ICTの上手な活用により、日本独自の面白さにあふれた教育が可能になっていくと思っています」
神山まるごと高専でも「教室を飛び出す学び」を実践
新井氏は今、2023年4月に徳島県山間部の神山町に開校したばかりの神山まるごと高専に勤務している。同校は、Sansan創業者の寺田親弘氏が設立し、企業からも注目を集める高専だ。
毎日楽しく過ごしていたが、常々「環境を変えてさらに自分自身が学ぶ必要を感じていた」という新井氏。「テクノロジー・デザイン・起業家精神」の学びを柱とする新しい高専ができるという話を知人から聞き、「これだ!」と直感でエントリーを決めたという。現在は単身赴任の形で徳島県に移り、学生と同じ寮で生活しながら教壇に立つ日々を送る。
2つの教科を担当しており、アートを学ぶ「表現基礎」では、本格的なデッサンのほかに立体造形や油絵の制作を行うほか、アーティストを招いて現代美術について学ぶ機会なども設ける。
ここでも教室を飛び出す学びを実践している。神山町の山中には、町内に滞在して作品を制作する「神山アーティスト・イン・レジデンス」に参加したアーティストの作品が点在しているため、校舎裏の大粟山に出かけて作品を見て回り、「アートとは何か」などを皆で考えた。校名のとおり、まさに神山町をキャンパスと捉え“まるごと”学ぶことを体現した実践だ。
もう1つの「グラフィックデザイン」は、UIやUX、写真、映像など、デザインを体系的に学ぶ科目。PhotoshopやIllustratorなどを使いこなすスキルを身に付け、色や形、レイアウトといった要素に着目しながらデザイン思考を育み、実践的な内容を展開していく予定だ。
「本校が目指す人物像は明確で、『モノをつくる力でコトを起こす人』を育てたいと考えています。立場が異なる人たちとつながって新しいことを生み出していくには、それぞれの思いやスキルを広く体験して同じ目線で対話できることが重要。そのためにも、とにかく手を動かすことを大事にしています」
神山まるごと高専でも、学生たちの作品や制作過程をウェブ上にまとめており、6月からは校内関係者であれば誰でもいつでも互いの作品を鑑賞できるようにしている。
「柔軟な働き方」が新しい挑戦を後押しする
新しいことに次々と取り組む新井氏だが、「最初から『これができる』とわかっていて始めたことは一つもない」と言う。
「僕の実践はすべて、生徒や教員仲間と対話を重ねながら、一つひとつ形にしてきたもの。そういう過程そのものが、すごく意味のある学びだと感じています。手探りだからこそ、学校外の人から僕自身も学ばなければいけないと思いますし、そこでの出会いや刺激が次の実践につながり学校現場に還元されていくという循環の楽しさもあります」
そうした好循環が可能な理由として、「柔軟な働き方が認められていることも大きい」と新井氏。これまでの在籍校はすべて、新井氏の学校外の活動に理解があった。
実は今、前任校のドルトン東京学園中等部・高等部でもSTEAMアドバイザーとして仕事の一部を継続している。2023年度は、新井氏が開発した2科目を担当。校内の空間をアートで彩る「Our Art」と、プロのクリエーターを講師に招き、映像制作やAR(拡張現実)の活用などを学べる「Media Arts」の授業だ。リモートを基本として現地勤務の教員と連携して授業を行っているが、こうした副業が可能なのは、神山まるごと高専がコアタイムを設けないフレックス制を採用しているからだ。
「本業と両立する力や工夫は必須ですが、すべての教員にこうした柔軟な働き方が認められると、できることが広がり日本の教育はよくなっていくと思います。学校の魅力は、独自の風土やチームワークから生まれるものも大きい。長期で1つの学校に関わり続けながら経験を増やすためには、雇用の枠組みをある程度柔軟にする必要があるのではないでしょうか。神山まるごと高専のように教育畑ではない人が関わる機会も増やすべきでしょう。僕のように1人で複数校を担当するだけでなく、移動しながら働くスタイル、インターンシップや企業との交換留学など、いろいろなやり方がありそうです。公立校も外部人材の活用に限らず、自治体同士の連携などでできることもあると思います」
教員が柔軟に学び働ける環境が整えば、新井氏のように新たな取り組みに生き生きと挑む教員が増え、より創造性にあふれた実践も広がりそうだ。何よりも、そうした教員の姿は、児童生徒たちに「主体的に学ぶとはどういうことか」を示すよき手本となるのではないだろうか。
(文:安永美穂、編集部 佐藤ちひろ、注記のない写真:神山まるごと高専提供)