米国の大学はなぜ「音楽の授業」を大切にしているのか?
現在、米国の主要大学では、多くの学生がリベラルアーツとして音楽を学んでいます。科学や技術の革新が進む現代において、なぜ音楽が重視されているのでしょうか。一言で表現するなら、「人間とは何か」を学ぶためと言えるでしょう。
1855年に米国初となる音楽学科が創設されたハーバード大学では、現在、美学的な学びを深める教養科目として音楽・芸術科目が開講されています。例えば「初日―5つの世界初演」という音楽科目では、当時革新的とされた5つの曲を取り上げ、当時の新聞記事や書簡などの1次資料に目を通しながら、「なぜ人々はそのように反応したのか」を考察します。さらに作曲家に新曲を委嘱し、その世界初演を聴くことによって、自分自身が新しい概念をどう受け止めるのかといった体験もします。
学生起業が盛んなスタンフォード大学では、約900席のコンサートホールを擁し、音楽教育にも熱心です。2013年に教養を育むことを目的に新設されたプログラムの1つ「芸術へのイマージョン」では、芸術が文化や身体に及ぼしてきた影響や、芸術家がいかに風刺などを通して社会問題を世に訴えてきたかを、交響曲・オペラ・ポピュラー音楽・バレエ・映画・絵画・マジックなどからひもときます。「なぜ芸術なのか、なぜ芸術でなければならなかったのか」という根源的な問いは、自分自身や社会のあり方にも目を向けさせます。
そして世界最高クラスの理工系大学であるマサチューセッツ工科大学(以下、MIT)では、芸術科目は必修とされ、22年の「THE 世界大学ランキング」の「芸術・人文学分野」でスタンフォード大学に続き第2位にランクされるほど本格的な学びが行われています。全学部生の約半数に当たる2300名ほどが一度は音楽科目を履修したことがあるそうですが、どのような考え方が背景にあるのでしょうか。
「エンジニアたちは創造的な問題解決法を編み出すために、人文学やアートの経験が役立つことに気づいています。それにテクノロジーや科学技術の発達に伴う問題の多くは、人間性理解の欠如からきています」とMITのキーリル・マカン音楽学科長が話すように、技術革新が進むほど人間理解が必要であることが強く意識されています。いくつか授業内容をご紹介しましょう。
「ワールドミュージック入門」では、日本を含む世界各地の民俗音楽を取り上げます。初回の授業では、自分がこれまでに聴いた音楽をリストアップし、クラスでシェアするところからスタート。まず自分自身を含め、皆それぞれが異なる民俗的・文化的影響を受けていることを知り、身近にある多様性を理解したうえで、世界に目を向けていきます。アーティストによる生演奏や舞踊の実体験などもあり、深い文化理解力と共感力を育みます。
「西洋音楽史入門」では、曲を聴いて気づいたことを発表しながら楽曲分析をします。特徴的なのは、数回の授業ごとに行われる振り返り課題。初出の曲を聴いて作曲家を当てるリスニング問題もあり、推察力が問われます。また「協奏曲や交響曲における心理描写やドラマ構成」を考察するエッセーでは、各楽章がどんな形式でどうデザインされているかを考察しますが、「なぜここで感情が喚起されるのか、どのような意味があるのか」など、ストーリーテリングという普遍的概念に置き換えて考えるように工夫されています。
「作曲」では最終プロジェクト(弦楽四重奏とピアノ小品の作曲)に向けて、参考曲の写譜や分析から始まります。シューマンのピアノ曲分析では、予測できない和声進行やあいまいな曲調に「予想の半分が覆された!」と思わず苦笑いする学生も。数学や工学の世界とは違い絶対的な正解はなく、むしろ偶発性や神秘性こそが芸術であり、人間らしさであることも学ぶのです。またコンサートに足を運んだり、各自の草稿をクラス内でシェア・意見交換したりしながら推敲し、プロの演奏家による実演とフィードバックを得て、最終日に完成曲を披露。作曲という個人的な作業でありながら、協働しながら仕上げていく面白さも味わいます。
また、室内楽やオーケストラなど演奏実技科目もあり、室内楽のマークス・トンプソン教授は「共に音楽を奏でることは魂の喜びであり、あらゆるソーシャルトレーニングにもなっています」と語ります。
米国で音楽の学びが強化された結果、今起きていること
このような音楽の学びによって、意識が広く深く掘り下げられ、「新しい世界観をどう構想し、どう協働してつくり上げるか」が身に付いていくのではないかと考えられます。
近年MITで音楽やアートを通じて社会問題に取り組むプロジェクトが盛んであることは、その証左かもしれません。「Hearing Amazonia」というプロジェクトには材料工学と音楽をダブルメジャーで学んだ卒業生が関わり、ブラジル音楽の演奏や対話を通じて、アマゾン地帯の生物多様性や持続可能なエコシステムに対する意識を喚起しました。
またBlack Lives Matter運動がきっかけで企画されたプロジェクト「It Must Be Now!」では、学生オーケストラのほか、歌、ダンス、ビジュアルアートなどを融合した力強いパフォーマンスを通じて、ソーシャルジャスティスの意識向上を呼びかけていました。
MITではこのような分野横断的な新しい着眼点による取り組みが日々行われており、「自分で物事をつなげて考えられる学生が多く育っている」と音楽の授業を担当するエヴァン・ジポリン教授が語ってくれたのもうなずけます。日頃からの融合的な学びが社会で生かされるのは自然な流れでしょう。
米国の芸術発展に取り組む非営利団体のAmericans for the Artsによれば、近年米国では、音楽やアートが「創造的思考を伸ばし、イノベーションを誘発する」「多様性への理解や共感を促す」との認識が広まり、企業と芸術界の関係性も、従来型のスポンサーシップからパートナーシップへと発展してきているといいます。
新入社員の採用時に芸術活動の実績を考慮したり、社内人材育成やチームビルディングに音楽を生かしたりする企業も増えています。音楽やアートの要素を取り入れたソフトウェア会社を起業したMIT卒業生の例もあり、技術力や専門知識だけでなく、人間らしい感性や柔軟な発想力が重視されているのです。
日本の「音楽教育のあるべき姿」とは?
少し話は飛躍しますが、今私たちは、「人類はAIとどう共存するのか」「地球の未来をどうするのか」など、大局的かつ根源的な問いに向き合っています。そこでまず問われるのは、「自分がどう感じるか」。物理化学者のマイケル・ポランニー氏は、「身体や情念を含む個人の暗黙知こそ、科学的な発見を前進させてきた」と述べていますが、実際、人は何かを知覚するとき、それが言語化される前に、多くのことを察知しています。
音楽はまさにその象徴であり、MITの音楽授業で行われていることのように「まず自分の耳で捉え、感じ、発見する」ことで、自らの暗黙知にも気づいていきます。そして「なぜなのか?」と問いを立てて探究していくと、原理や仕組み、思想などが見えてきて、深層で多くのものがつながっていることがわかるでしょう。欧米で他分野との連携が盛んなのは、こうしたリベラルアーツの力ともいえます。
ではこれからの時代、暗黙知に気づき探究を深めていくような感性を育むには、日本での音楽教育はどうあるべきでしょうか。
現在、日本にも一般教養として音楽を学べる総合大学があります。小規模であっても、芸術科目・人文科目として存在する意義は大きいでしょう。伝統的な西洋音楽が中心ですが、将来は米国の大学のようにワールドミュージック、ジャズ、ポピュラー音楽、ミュージカルなどジャンルの幅を広げたり、社会学、心理学、科学、コンピューターサイエンスなど他領域と融合させたりするなど、総合大学の強みを生かした学びも可能ではないでしょうか。
また体感を伴う学びとして、プロのアーティストや演奏の現場と連携したり、オーケストラや室内楽などを単位認定したりすることも将来的に考えられます。
その前段階となる高校や義務教育においては、音楽だからこそ育まれる資質を1つひとつ意識し、音楽の授業で生かしていただきたいと思います。例えば「音を聴く」ことは、他者や環境から気づきを得る繊細な受信力につながります。「思い切り発声する、全身で表現する」「他者と一緒にハーモニーをつくる」ことも豊かな発信力や協働力につながるでしょう。こうした感覚は、大学のPBL(課題解決型授業)だけでなく、高校で今年度から設置された7つの探究科目などの一般教科でも生かせるのではないでしょうか。
例えば世界史探究や日本史探究では、ある時代の音楽を通して、当時の出来事を体験した人々の心情に触れるといった機会がつくれそうです。「なぜそれが起きたのか」「自分たちであればどう向き合うのか」という当事者意識を踏まえた問いと、学びを現代に生かす視点も育めるでしょう。地理探究ならワールドミュージックを聴き、世界各地の人々の営みや社会のあり方を実感するなどの授業もあってよいかもしれません。
そもそも音の響きはこの世界を解明する物理現象の1つとして、古代ギリシャ時代のピタゴラス以来、多くの科学者によって探究されています。昨今重視されているSTEAM教育も示すように、音楽や芸術を含む教科横断によって感覚が開かれ、より深い問いが生まれるでしょう。
これからは、世界の人々と共に未来の世界をつくっていく時代。日本人ならではの繊細な感覚と、自由な感性から生まれるダイナミックな発想力が、音楽を通じてさらに育まれていくのではと期待しています。
(注記のない写真:空/PIXTA)