森を走りマイツリーを観察、目の前に「学校林」がある日常
西に中央アルプス、東に南アルプスが連なる長野県伊那市。中央アルプスのふもとにある伊那西小に通う児童たちの朝は、読書またはマラソンから始まる。
マラソンの日、児童たちが走るのは校舎の目の前に広がる森の中のコースだ。アカマツやサワラ、コナラなどさまざまな木が立ち並ぶ森の中の土はふかふかで、校庭とはまた違う感触がある。その中を、時には草や木の根などを上手によけながら走っていく。
「子どもたちはこの森のことを『林間』と呼んでいます。1キロメートルあるマラソンコースも、地域の専門家の指導を受けながら、子どもたちが整備しているんですよ」
そう話してくれたのは、伊那西小校長の有賀大氏だ。この森は、伊那西小が保有する学校林である。
学校林とは学校が保有する森林のことで、教育と学校財産の造成に有効だとして明治時代に児童生徒が植林を行う形で全国に広がっていった。木材需要が高まった戦後の復興期には、当時の文部省と農林省が学校植林を促進。その後も学校林の設置や利用が推進され、学校林保有校(小学校、中学校、高等学校)は、現在も47都道府県すべてに存在する。
しかし、国土緑化推進機構の「学校林現況調査報告書(令和3年調査)」によると、管理の難しさや契約などの問題もあり、1974年に5276校あった全国の学校林保有校は、2233校にまで減っている。こうした中、全国で2番目に学校林が残っているのが長野県だ。小中高合わせて163校(1026ヘクタール)、小学校だけでも95校(474ヘクタール)の学校林がある。
そのうちの1つである伊那西小の特徴は、児童が日常的に学校林の中で過ごし、さまざまな学びに生かしていることだ。
「1年生から3年生の児童は、1人1本『マイツリー』を決めて、その木の定点観測をしています。5年生は野イチゴなどの木の実を収穫し、ジャムを80個作りました。そのジャムを駅前のマルシェに出したところ、1時間で完売。また、春にはタケノコ掘りもします。タケノコは1日であっという間に伸びるので、ちょうどいいタイミングで収穫できるのも、目の前にある林間ならではですね」
「森はぼくらの教室だ」!Wi-Fiも飛ぶ森での授業とは?
四季折々の自然の姿を子どもたちに見せてくれる約1.3ヘクタールの広大な森は、全校行事でも活用されている。
しかし、伊那西小では森を単なる「自然体験の場」で終わらせるのではなく、「森はぼくらの教室だ」というスローガンの下、さまざまな教科学習に生かしている。
「例えば理科の授業では、毎年3〜4年生が林間の中でチョウの観察を行うなど、動物や昆虫を観察するほか、実際に物を燃やしてみるなどの実験も林間で行っています」
教科学習まで森で行えるのは、落ち着いて学べる「森の教室」が整備されている点も大きい。これは学校林から伐採した木材を使用した屋根付きの屋外学習施設で、農林業や木工事業を展開する地元企業の職人が中心となり、保護者や児童も仕上げを手伝って2020年度に完成した。
「それ以前もPTAと地域の皆さんが協力して作ってくださった森の教室がありましたが、1学級の児童が全員座れる机といすを備え、より授業で使いやすい形に作っていただいたのです。森の教室のそばには『森のステージ』もあり、ここでは音楽の授業で歌を歌ったり、国語の教科書にある『くじらぐも』を本物の雲を見ながら読んでみたりといった授業も行っています」
さらに森での学びを支えているのが、ICTの活用だ。なんと森の教室にもプロジェクターが設置されている。
「本校はGIGAスクール構想以前から1人1台端末を整備していたこともあって活用が進んでいます。今年9月には林間でもWi-Fiを使えるようにしたことで、林間で見つけたものを撮った写真を共有するほか、わからないことを放置せずにその場で検索できるようにもなりました」
豊かな自然環境にひかれ「教育移住」してくる家庭も増加
森は学校単位での学びにも生かされている。現在、全校生徒58人の伊那西小は、1学年1クラスで10人前後と少人数だ。
「クラス内の多様性があまりないので、林間のマラソンコースを整備する際などは、1〜6年生の縦割り班で活動します。県の林業センターの専門家の指導の下、自分たちで計画を立て、作業を行い、振り返りもしており、異年齢という多様性の中で意見を聞き合う学びを大切にしています」
異なる学齢の子どもが一緒に学び合い、活動する場でもある森。そこでの学びは、教員や保護者にとってもさまざまな気づきがあると有賀氏は話す。
「マラソンコースの整備では、『この根っこは切ったほうがいい』という意見が出てきます。その際、児童から『切っていいの?』と疑問の声が上がりましたが、専門家の方がこうおっしゃったんです。『ここは原生林とは違う生活の森。邪魔だと思えば切っていいし、残したければそのままでもいい。その代わり、草木も日光を求めて伸びてくる。お互いに大切なものをどう守るか、森と君たちとの戦いでもあるんだよ』と。この言葉には私もハッとしました」
日常的に森で過ごし、じっくり関わるからこそ得られる深い学び。そんな伊那西小の教育環境にひかれて入学・転学する児童も増加している。
「本校では児童数が減少していたのですが、小規模特認校となり、通学区域以外の市内在住児童も入学・転学ができるようになりました。学校見学は、北は北海道から南は沖縄県まで日本全国から参加いただいており、今年の前半だけで29件。林間での授業をオンラインでつないだ市主催の見学会は37件の視聴がありました。説明を聞いて『自分もここで学びたかった』とおっしゃる保護者も多いです」
「森」「田舎暮らし」「総合的な学習の時間」などのキーワードで探して伊那西小に興味を持つ保護者が多く、実際に教育移住者は増加。小規模特認校となった2018年以降、児童数がV字回復している。通学区域は農業振興地域ということもあり、賃貸物件や新築できる土地が少なく、市外から教育移住してきた児童は、市内の別の地域に住み、伊那西小に通うケースが多いという。
「今年度は全校児童58人中17人が通学区域外からの入学・転学です。しかも17人のうち9人が市外からの移住者。他校で不登校傾向にあった児童が本校では元気に通っているという例もあります」
伊那西小が学校林をフル活用できている理由とは?
前述のとおり、学校林は全国にある。筆者もこれまで各地の中山間地域で取材を行う中で、学校林で林業体験を行ったり、学校林の木材を新校舎や備品などに使ったりする例を見聞きした。しかし、伊那西小のように、これほど日常的に学校林を活用している例はなく、非常に珍しいと感じた。
では、なぜ伊那西小ではここまで活用できているのか。それにはいくつか理由がある。
1つ目は、距離の近さ。国土緑化推進機構によれば、現存する学校林の72%は学校から1キロメートル以上離れており、日常的に訪れることは難しい。それが急峻な山の中であれば、児童を連れて行くのはさらに困難だろう。伊那西小のように、起伏のない学校林が校舎の目の前に広がる例は希少なのだ。
「本校は日本一、学校林に近い学校かもしれません。校舎を出てすぐ行けますから、休み時間や土日も林間で過ごす子がいますね。いつも林間にいる子はチョウや木の種類にも詳しく、どこに何が生えているのかまで把握しているほどです」
2つ目は、地域との連携だ。72年前の開校以来、林間は学校と地域の連携により管理されてきた歴史があり、現在は通学区域の企業が森の管理を担い、伊那西小を卒業した地域住民も率先して下草刈りを行っている。学校林の維持で課題となる管理も、地域住民の理解と協力があるから可能だといえる。
さらに、森での学習も地域が支援している。例えばチョウの観察や絶滅危惧種のミヤマシジミの保護活動も地域に住む専門家がサポートしており、学校行事の運動会や展覧会も地域と合同開催している。
「伊那西地区では校長が公民館長を兼ねています。地域組織である『伊那西地区を考える会』など地域のさまざまな組織と学校について考えていくのも本校の特色です」
3つ目は、専任スタッフの存在だ。小規模特認校コーディネーターとして、教員経験者を市が雇用している。そのため、森を学びに生かした独自の教育が可能なのだ。
また、「豊かな自然の中での活動・少人数・地域との連携」を特徴とした丁寧な教育に魅力を感じて市外から入学・転学する児童の保護者も、積極的に学校の活動に関わるという。
「本校の学びの根底は『森に育つ』ということ。今後は林間での学びに関する研究を重ね、デジタルとの融合についてもさらに進めていきたいと思っています。一般的にもVR(仮想現実)機器の活用はまだ進んでいないためメタバースとの融合は諦めましたが、今年度はGoogleストリートビューを活用して林間の情報を発信していくなどの活動も考えています」
SDGs(持続可能な開発目標)の普及やESD(持続可能な開発のための教育)の流れからも自然体験は見直されており、最近では北欧発祥の幼児教育「森のようちえん」や秋田県の教育留学など、自然を生かした教育が保護者からも注目を集めている。
面積の約67%を森林が占める日本は、実は森林大国でもある。その森を豊かな経験と教育の場とし、ICTと融合させる伊那西小の学びは、「持続可能な社会の創り手」を育てる意味でも、地域活性の側面からも、大きなポテンシャルを秘めているといえるだろう。
(文:吉田渓、写真:伊那市立伊那西小学校提供)