「高校無償化」とは
自民・公明・維新の会の合意により、2025年度から、国公私立を問わず年間11万8800円を支給していた高校生の就学支援金の所得制限が撤廃された(従来は世帯年収910万円未満が条件)。
これまで、世帯年収590万円未満が条件であった私立高校向けの支援金も、2026年度から所得制限が撤廃され、金額も39万6000円から45万7000円に引き上げることが決まった。

私立学校への授業料補助は、「選択の自由」を重視したシカゴ学派経済学の重鎮ミルトン・フリードマンが「教育バウチャー(クーポン)」という名で提唱し、長く論争のあるテーマだ。このアイデアを起源とし、私立学校の授業料の低減は、学校の選択肢を広げ、私立と公立の間での競争や切磋琢磨を促し、教育の多様化と質の向上をもたらすはず、といわれてきた。
しかし、近年多くの実証研究が積み重ねられた結果、教育バウチャー政策は、競争の理念や市場のアナロジーだけで成果が見込まれる政策ではなく、その成否は制度設計の細部に大きく依存するということが学界のコンセンサスになっている(赤林 2007, Epple, Romano, & Urquiola 2017)。
では、現在予定されている私立高校無償化政策は、すべての子どもに学校選択の幅、そして将来の可能性を広げるのだろうか。私立と公立の間の競争は、教育の質を高めるのであろうか。来年度の政策実施を前に、どのような検討が必要なのだろうか。日本の高等学校制度の現状を踏まえて、議論したい。
本当に「学校の選択肢拡大」に寄与するのか
まず、従来実施されてきた、低所得世帯向けの私立高校授業料軽減政策の意義について議論する。筆者は、現パパラカ研究所の荒木宏子氏との共同研究(Akabayashi & Araki 2011)で、2010年から始まった無償化政策以前のデータを用いて、各県独自の低所得世帯向け私立授業料減免の効果を推計し、授業料減免はとくに専門学科の生徒の中退を抑止することを確認した。
これは、家庭の経済事情等で就学継続が困難な子どもにとって、授業料負担の低減は就学支援に寄与すること示しており、現行の制度の下での授業料無償化で、低所得世帯の子どもの高校進学機会はさらに拡大すると予想される。
では所得制限のないすべての子どもを対象にした無償化政策は、低所得世帯以外の子どもにも進学機会の拡大をもたらすであろうか。
そもそも、すでに子どもを私立に通わせる余裕のある世帯にとって、無償化は特段選択肢の拡大につながらない。さらに、現在、高校からの入学枠のない「完全」中高一貫校が首都圏を中心に増加傾向にあることにも注意が必要だ。
学力が高い中学生にとって、いくらそうした大学合格実績の高い難関校に進学を希望しても、高校入学枠がなければ、授業料の金額以前にそもそも選択肢に入らない。私立高校の無償化が中高完全一貫校にも無条件に適用されても、高校受験段階での機会の拡大に寄与せず、政策の趣旨から外れていると言わざるをえない。
子どもを中学受験に挑戦させられる家庭は相対的に富裕層である。所得制限の撤廃は、そのような層への補助金としても働く。現実に、中学受験では通塾がほぼ不可欠であることを考えると、無償化で浮いたお金は学習塾などへの補助金に転化する。実際、複数の報道によると、中学受験を検討する家庭が大幅に増えているという。
もちろん、所得中間層も私立中学受験を検討できることを、富裕層との格差縮小として肯定的に評価することもできるが、中学受験は早期からの準備、直前の学校別過去問対策が受験の成否を作用するため、中学受験競争の激化と課金ゲーム化は加速、消耗戦となるため、金銭的に余裕があるほうが有利であることには変わりない。
入試が3科目より5科目のほうが「大学等進学率」は高い
わが国は、先進国の中では、GDPに比較して公教育に投じられる割合が低い国として知られている。今回の高校無償化は、公教育への公的投資の増加として評価する声もあるが、負担者が家庭から税金に置き換わっただけで、学校に入る資金に変化はなく、その部分で質が上がることはない。
では、私立と公立間の競争で学校教育の質は向上するのか? 理論上、学校間競争が教育の質を高めるためには、すべての学校に質向上の余地が公平に存在し、学校選択の主体である家庭や子どもが、質の高い教育を合理的に選択できることが必要だ。
しかし現実は、私立に比べて公立は、授業進度、教員採用、設備投資、入試方法の決定などで自由度が低い。公立は「切磋琢磨」の余地が小さいのだ。
高校進学には非金銭的コストもかかる。その代表は入試準備であり、やはり競争条件が異なる。公立普通科高校の一般入試には原則5科目が必要だが、3科目以下で一般受験できる私立高校は東京都内で98%(定員に対する比)、大阪府内で31%を占める。入試に必要な科目数は入学偏差値と強い正の相関があり、学力が低い子どもほど受験科目が少ない高校を選ぶ傾向にある。
従来、多くの中学生にとって公立が第1志望で、5科目での受験を強いられてきたことで、よくも悪くも、わが国の義務教育終了時の質が保証されていた可能性が高い。無条件の私立の授業料無償化で、中学入学直後から私立専願を決める子どもが増えたらどうなるか。
行動経済学・教育経済学の蓄積によると、子どもは大人よりも将来に対する想像力が乏しい。そもそも、勉強の意義は、勉強して初めて理解できることが多い。従って、すべての中学生が、目の前の学校選択が自分の将来に与える影響を合理的に判断できるわけではない。
私立無償化の影響で、学習意欲の低い子どもの志望校の受験科目数が3科目受験になることで、義務教育期間の理科・社会の学習意欲はいっそう低下するだろう。皮肉なことに、私立受験機会の拡大が、学力格差を広げることになる。
3科目受験であっても、高校で適切な指導をすれば将来の可能性に悪影響はない、との主張もあろう。しかし、それを否定するエビデンスもある。筆者は現慶応大教授の直井道生氏との共同研究(Akabayashi & Naoi 2019)で、公立高校の入試科目数が9〜10科目から3科目の間で大きく変動した1960〜70年代のデータから、科目数が3科目だった年よりも5科目だった年のほうが大学等進学率は高かったことを明らかにしている。義務教育段階での勉強放棄は取り返しがつかないことが多いのだ。
生徒や保護者が合理的な学校選択を行うためには、情報の対称性、すなわち教育の質や結果についての情報が偏りなく手に入ることが必要だ。しかしながら、現在の制度設計ではそのことは必ずしも担保されていない。
2021年に改正された高等学校通信教育規程第14条は、通信制高校には、入学者数、在籍生徒数、退学・転学・卒業者数・進学者数・就職者数等の情報を公表するよう定めている。しかし筆者が確認したところによると、通信制ではない高校について同様の規程は存在せず、公立、私立に限らず、高校がこれらの情報をどの程度公表するかは、都道府県任せ、学校任せの状態である。
実際、筆者が調べた範囲でも、個別の学校について上記の情報を把握することは非常に難しい。しかし、公立であれば、法に従って情報開示請求ができるので、請求が認められれば、個別高校の情報の取得が可能だ。しかし、私立高校には情報開示請求はできない。
つまり、情報の対称性・透明性においても、公立と私立は対等とは言えない。情報公開への社会的圧力に学校間で差があると、受験生に好意的に受け止められる情報のみ公開し、そうではない情報は積極的に出さない傾向になり、生徒や保護者は学校選択に際して、正しい判断ができなくなる。
空想的新自由主義を超えて
ミルトン・フリードマンの影響を受け、教育における選択肢の拡大を指向する政策は、その批判者からしばしば、「新自由主義」、「教育の市場化」などとくくられる。筆者自身もシカゴ大学で訓練を受けた経済学者であり、その発想の根本には市場主義・自由主義があるのは確かだ。
しかし筆者は、同時に、選択の自由が社会厚生向上に寄与するためにはいくつも条件があること、市場原理の理念だけで結果が伴うわけではないことを、世界中の社会実験や実証研究から痛感している。そのような立場は、事実確認や制度的制約を踏まえた実証研究を重視する現代の経済学者の多くに共有されている。

慶応義塾大学経済学部教授、同附属経済研究所こどもの機会均等研究センター長、ガッコム創業者・代表取締役会長
東京大学教養学部卒業、通商産業省、マイアミ大学、世界銀行などを経て2006年より現職。専門は、教育経済学、労働経済学、家族の経済学で、教育政策の効果の因果分析、国際比較等を研究している。アメリカ・シカゴ大学で経済学博士号を取得し、教育バウチャーを提唱したミルトン・フリードマンの孫弟子にあたる
(写真:本人提供)
その立場からは、現在、政権内で進んでいる私立学校無償化の主張は、日本の高校教育政策の制度的背景や世界中の実証研究を無視した、市場と競争の素朴なアナロジーにもとづく「空想的新自由主義」とも言えるものだ。そういった主張は、今や本家のシカゴ大学にさえ存在していないことを知っておくべきだろう。
筆者は、私立高校の授業料軽減や無償化政策を一方的に否定するわけではない。しかし、その政策が社会全体にとってよい意味を持つためには、日本固有の制度的要素や学習塾の存在などの社会的背景を考慮した、繊細な制度設計が必要だ。
現状、私立は公立に比べ、入試科目数を減らすことで目先の負担を避けたい受験生を引きつけ、不都合な情報の開示を迫られることがなく、高校からの入学枠を廃止することで中学生の選択肢を減らすことができるなど、多大な経営上の自由がある。
今回の政策で公立と同等に近い税金を投入する以上、社会全体の利益のために、従来の過剰ともいえる私立の自由の制限は必須だ。今年度中に法制化をすることができなくても、今回の無償化政策実施に際して3年後の見直しを付し、その間の検討課題や私立高校が努力すべき点として、上記の点のいくつかでも明示することはできないか。
同時に、公立高校においても改革は必要だ。文部科学省は都道府県任せにせず、経営上の自由度を高め、教育の質向上の余地を増やす必要がある。例えば、実績のある教員や校長に特定の学校での長期在籍権を付与する、予算上の自己財源を導入するなど、私立に近い仕組みを積極的に推奨すべきだろう。
(参考文献)
Akabayashi, Hideo, and Hiroko Araki. 2011. “Do Education Vouchers Prevent Dropout at Private High Schools? Evidence from Japanese Policy Changes.” Journal of the Japanese and International Economies 25 (3): 183–98.https://doi.org/10.1016/j.jjie.2011.07.003.
Akabayashi, Hideo, and Michio Naoi. 2019. “Subject Variety and Incentives to Learn: Evidence from Public High School Admission Policies in Japan.” Japan and the World Economy 52 (December):100981.https://doi.org/10.1016/j.japwor.2019.100981.
赤林英夫2007『的はずれな日本の教育バウチャー論争』「中央公論」2007年2月号 pp.206-215.
Epple, Dennis, Richard E. Romano, and Miguel Urquiola. 2017. “School Vouchers: A Survey of the Economics Literature.” Journal of Economic Literature 55 (2): 441–92.https://doi.org/10.1257/jel.20150679.
(注記のない写真: Fast&Slow / PIXTA)