汎用性のある知識とは「概念」として習得されるもの
関西学院大学で教える佐藤真教授は、2020年度から22年度にかけて施行された新学習指導要領について、改訂の背景を次のように語る。
「今回の改訂はコンピテンシー、つまり資質・能力を育成し、そのスキルに応じた学習評価を目指すものです。これにはOECD(経済協力開発機構)のPISA(国際学習到達度調査)による影響も大きくあったでしょう。世界ではすでに思考力や自己調整力など、汎用的なスキルを重視したコンピテンシーベースの教育が主流。日本もその流れであるということです」
その内容から、佐藤氏は今回の学習指導要領改訂を「資質・能力改訂」と言い換える。
昭和の頃の教育は、何を覚えたかという知識を問い、インプットを重視したいわゆる量産型教育だった。それが平成に入ると思考力が問われるようになり、アウトプットや応用力の必要性についても認知が進んだ。そして令和の今、応用力と汎用力をさらに深め、協働によって新たな価値を創造できる力が求められるようになっている。社会に開かれた教育課程であること、探究の重要性もより高まっていくだろう。佐藤氏には、「未来のつくり手」を育てる現場の教員に伝えたいことがある。
「教員の方々は日々研究されていると思いますが、『知識観』が変化しているということについては、まだピンときていない方も多いように思います」
知識観の変化とは何か。佐藤氏は歴史教育を例に説明する。
「これまでの授業では、ほとんど時間軸のことが問題とされ、それが学びの中心だったといえるでしょう。すなわち、何年に何があったかを暗記して、しかもその知識は断片的。徳川十五代将軍のすべてを理解していても、テストに出るのは特定の数人のみでしたよね。でも実際の歴史の出来事には、時間軸だけでなく空間軸と関係軸がかかわっています。そのような因果関係を考えながら『概念』として習得した知識は、汎用性があり体系的になりやすい。これからの知識はこうした概念も含めて考えるべきです」
また、探究の授業などでも「課題解決能力」が重要だといわれるが、この「課題」の捉え方にも注意が必要だ。教員が用意し、子どもに「課した問い」として課題を解決するのでは、従来型の知識の域を出ることはできないだろう。
「用意された問いを解くだけなら、AIのほうが速くて正確です。人間の特性による真の解決力とは、問題を自ら発見する力でもあるのです」
「考えましょう」ではなく、理由を考えた明確な発問を
佐藤氏は、とくに重要なスキルの1つとして「類推する力」を挙げる。なぜこの結果になったのか、誰がなぜこう振る舞ったのかなど、歴史の問題でも出来事を掘り下げて類推する力が身に付けば、子ども自身の人間関係にも生きるかもしれない。
新たな学習指導要領と3観点で難しいと感じる人が多いのは、おそらく「学びに向かう力、人間性等」の項目と、それに対応する「主体的に学習に取り組む態度」という評価規準だろう。ペーパーテストでは測れないが、最も重要だともいえる部分だからだ。佐藤氏はこの点も踏まえて続ける。
「数値化できない『学びに向かう力、人間性等』の評価に目が向きがちですが、それに加えて大切なのはこの『知識観の変化』を理解し、アップデートすることかもしれません」
従来の教育を受けてきた教員が考える「知識」と、新たな学習指導要領で求められる「知識」はすでに異なるものになっている。だからこそ、根本的なマインドチェンジが必要なのだ。
そもそも「教わる」とはどういうことか。基礎的な概念を改めて振り返ることが、新たなマインドへの理解につながる。
「今も一斉学習に力を入れているのは、日本を含む東アジアの数カ国といえます。世界のほとんどはグループ学習にシフトしている。おりこうさんに座ってノートを取るだけでは、『学ぶ』ことよりも『教えてもらう』ことにとどまってしまいます」
佐藤氏は「とりわけ『考える』とはどんなことなのかわからない子どもへの支援が重要です」と続ける。ただ「考えてみましょう」と言うのではなく、教員自身も「何のために考えさせるのか」を認識し、「比べてみましょう」「分類してみましょう」など、明確な発問をする必要があると指摘する。それにより、子ども自身に「これとこれは何が違うのだろう」などという問いが生まれる。
「教科書で学んだことのまとめは、これまでは教員自身が行うことが多かったと思います。でもその思考の可視化から操作化、そして構造化までの一連の作業を、ぜひ子どもにやらせてほしいと思います。自ら問うこと、問い続けることこそが、主体的に学ぶ前向きな態度といえるのですから」
この佐藤氏の言葉を裏付ける出来事がある。大阪市のある小学校の子どもたちが、東日本大震災の被災地の住民と手紙のやり取りをした。受け取った手紙では、その東北の町の様子が紹介されており、「商店街にはこんなお店があります」などの記載があった。その後、今度は子どもたち一人ひとりのタブレットを活用し、実際の町の様子を映像で見た。そこで子どもたちは無意識に手紙と映像の内容を比較し、あることに気がついた。
「手紙に書いてあったお店が、商店街の映像にはないみたいだ。どうしてだろう」
調べたり聞いたりしてみると、震災の記憶が徐々に風化する中でその地域を訪ねる人が減り、コロナ禍の打撃もあって、手紙にあった店は閉店してしまったということがわかった。比較から生じた問いは、子どもたちに思わぬ事実を知らせた。ここからまた何を感じ取るか、それも大切な学びだ。
教員も「自分らしさ」とコミュニケーションを重視しよう
3観点に限らず、評価には信頼性とそのための妥当性が不可欠だ。規準を明確にすべく言語化が図られていても、それだけでは妥当性は担保しきれない。例えば制作物の評価規準に「表現力」という項目があるとする。だがこの言葉の理解に教員の個人差があると評価がぶれる。単にグラフィカルであることを表現力と捉える教員は、絵や図が多い作品に高評価をつけるだろう。内容の豊かさを見て判断する教員とは、同じ作品を見ても評価に差が生まれるかもしれない。
こうしたぶれを解消するためにできることは2つ。1つは、教員同士で話し合うことだと佐藤氏は言う。これは評価の一貫性を図る「グループ・モデレーション」だ。
「ベテラン教員の方は、やはり評価に安定感があります。ぜひ複数の教員で評価規準の解釈や違いについて討議してください。一方で若い教員の方が得意なこともあるので、互いに得るものが多いでしょう」
子どもたちに協働を教える立場として、教員間でも力を合わせ、その背中を見せるのが理想的だろう。
さらに2つ目の方法として、佐藤氏は「子どもと触れ合うこと」を挙げた。
「教員がいかに子どもの生活世界に教員が入っていけるかが大切です。そうしなければ、なぜ彼らがこう感じるのか、なぜこの言葉を使うのかなどといったことはわかりません。子どもを理解しなければ正しく評価することもできない。子どもと触れ合うとは、子どもと何かをシェアすることです。鬼滅もワンピースもポケモンも知らなければシェアできるものがなく、それでは子どもの世界に入っていけないと思います」
どちらも突き詰めれば、コミュニケーションの一語に尽きることだ。だが激務に押され、その時間がない、というのが現場の声だろう。教員のデスクワークの多さが業務を圧迫していることに憂慮しつつ、佐藤氏は教員も完璧でなくていいと言う。本来、学びとは快楽であり、子どもの学ぶ姿は美しいものだと語る。学ぶ喜びを涵養し、主体的に問う子どもを育てるには、教員自身が生き生きと個性的であってほしいと考えている。
「とくに若い教員の方には、最初からあまりにも難しい指導を求めないほうがいいと思います。まずはシンプルに、子どもにとって意味のある45分になることを目指せばいい。また、例えば英語指導に限界を感じるなら、地域で英語ができる外部の人を探したり、一人で頑張りすぎずに教員同士で解決策を探ったりしてもいいでしょう。教員が他者と協働しながら自分らしく働く姿は、子どもたちの個性を豊かにすることにもつながるはず。教員の方には、デスクワークよりも、こうしたフットワーク、チームワーク、ネットワークを大切にして、子どもを丁寧に見ながら、語り合ってほしいものです」
(文:鈴木絢子、注釈のない写真:Fast&Slow/PIXTA)