高校野球・甲子園の影響力から考える、「勝利至上主義の部活動」の行く末 宣伝や愛校心に役立ててきた学校の身勝手

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今年も夏の甲子園が始まる。これまで多くの感動を生んできた高校球児の大舞台だが、勝つことばかりを目指すあまりに失われているものがあるのではないか――。心身ともに大きく成長する時期を部活動主体に過ごすこと、その先も続く生徒の将来を考えずに体を酷使することなど、さまざまな犠牲に関心が集まるようになっている。学校部活動の地域移行に関する検討も進む中、勝利至上主義の部活動は今後どうなっていくのか。その象徴とも言うべき甲子園、高校野球を中心に取材を重ねてきたスポーツジャーナリストの氏原英明氏に考えてもらった。

慶応高校に完敗した公立高校の指揮官の言葉

最後のボールがストライクゾーンを外れると慶応高校に8点目が入り、試合は決した。

スコアは1−8の7回コールド。

甲子園切符を懸けた第105回全国高校野球選手権神奈川大会5回戦。県立市ヶ尾高校は創部以来2度目のベスト16入りを果たしたが、春夏連続で甲子園出場を果たすことになる慶応高校の前に完敗を喫した。

それでも、就任7年目になる菅澤悠監督は前向きにこう話した。

「これほど気持ちのいい敗戦はなかったです。やっていて僕自身も楽しかったし、すごく満足した試合でした」

勝利を目指しながら、先に進めなかったことに満足する指揮官がそこにいた。

甲子園強豪校を指揮するような監督からすると「甘い」と言われるのかもしれない。しかし、中学の頃から勉強と野球の両立を目指し、必ずしも「甲子園だけ」を目指してきたわけではない球児たちを率いる教員のスタンスはこれがベストとも言えた。

「保護者からすると、もっと勉強をさせてほしいという意見を持つ人もいたと思うんですよ。冬場は2週に1回は日曜日を休みにしてきたし、その中ではしっかりできたかなと」

このように、公立高校の指揮官の中には、勝利を目指しながら、それでも学生の本分である勉強とのバランスを取り努力をしている指導者はいる。どこまでを勝利至上主義とくくるのかはわからないが、高校野球の指導者の中には菅澤氏のような熱心な先生はいるのだ。

研鑽を積んできた技術を披露する場の頂上が「甲子園」だった

甲子園は是か否か――。

ここ数年、そんな二元論で語られる機会が増えてきたように思う。

2018年に筆者が上梓した『甲子園という病』がそうした議論のきっかけになったと言ってもらえることはうれしいが、事実、甲子園の大会すべてがなくなるべきだという論調を書いたことは一度もない。甲子園のよさ、そして、過度な部分、それを精査することで、「甲子園」「部活動の正しいあり方がある」。そう伝えたかった。むしろ、二元論にすることのほうに無理がある。

100年の歴史を超える「甲子園」が人気を博したのは、暗い世相の中に、部活動に打ち込むことで力をつけた球児がいて、その姿を見ることによって感銘を受けた人々がいたことに始まる。

今も昔も、高校生は純粋で、目標に向かって一意専心、努力する姿は変わらない。どういう方向が正しいのか。今ほど情報が流通していなかった頃から指導者は生徒たちと向き合い、少しでも成長することを目指してきた。

練習で鍛え上げた技術を披露する。その場こそが「試し」「合い」と表現される試合だった。試合にはさまざまある。チーム内でやる「紅白戦」もあれば、学外のチームと非公式で技を見せ合う「練習試合」もある。そして、公式戦は勝敗が大きくものをいう真剣勝負の場だ。

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