工業大、美大、MBAを掛け合わせた教育を

名だたる企業や起業家の支援が集まる、「神山まるごと高専」(設立構想中)。同校の創業メンバー4人は皆、起業経験がある。その1人が、カリキュラムディレクターを務める伊藤直樹氏。クリエイターとして国内外で250以上の受賞歴があり、クリエイティブ集団「PARTY」を設立した起業家だ。さらには京都芸術大学情報デザイン学科教授、デジタルハリウッド大学客員教授として教壇にも立つ、マルチキャリアな人物である。

左から、寺田親弘氏(理事長)、CRAZY WEDDING創業者の山川咲氏(クリエイティブディレクター)、ZOZOテクノロジーズ元CTOの大蔵峰樹氏(学校長)、伊藤直樹氏(カリキュラムディレクター)

神山まるごと高専のコンセプトは、「モノをつくる力で、コトを起こす人」。これは発起人の寺田親弘氏が経営の最前線に立つ中で抱いていた「日本を変えていく人材像」を表現したものだが、伊藤氏自身もビジネス現場でこうした人材が今後必要になると感じていたという。

同校は、このコンセプトを体現する人材を育成するため、プログラミングを中心とした「テクノロジー」、UI・UXやアートに関する「デザイン」、そして「起業家精神」の3つを教育の柱とする。言い換えれば、工業系大学と美術大学とMBA(経営学修士)を掛け合わせたような教育を、社会の要請もダイレクトに反映しながら実践していくということだ。これまでの「一条校」ではかなわなかった、未来を生きる力を総合的に教えていく。

伊藤直樹(いとう・なおき)
1971年静岡県生まれ。早稲田大学卒業。クリエイティブディレクター、アーティスト、起業家、クリエイティブ集団PARTY代表、京都芸術大学情報デザイン学科教授、デジタルハリウッド大学客員教授、アートを民主化するThe Chain Museumの取締役、スポーツ観戦をDXするStadium ExperimentのCEO。文化庁メディア芸術祭優秀賞、グッドデザイン賞金賞、カンヌライオンズ金賞など、250以上の国内外の広告・デザイン賞を受賞

「今後、企業が成長していくためにはエンジニア、デザイナー、経営者が三位一体となってドライブをかけていく必要があります。それには、この三者がそれぞれの領域を超えたスキルを持ち、互いの理解をより深めなければなりません。成功しているベンチャー企業でも組織内で分断がよくありますが、この三者間の不理解が原因であることが多い。しかし、自分の領域を超えたスキルを学ぶプロセスがないというのが現実です」

伊藤氏は、こうした日本の課題とともに、教育課題についても指摘する。

「小学生のうちは、レゴブロックやマインクラフトで遊んだり、お手伝いでお弁当を作ったりする中で、想像力を働かせ、手を動かしてモノづくりをしていますよね。それが段々と塾や習い事、部活などに時間を取られ、モノをつくる力がどんどんそぎ落とされていく。とくに普通科の高校では文理選択によって、理系を選んだ子は美術の授業を、文系を選んだ子は数Ⅲの授業を受けなくなってしまう。

本来、人間にはモノをつくる力が備わっています。だから、15歳の段階で文系か理系かという人生の選択をしてしまう前に、高専という形で社会課題ともいえる三位一体の教育を全寮制でしっかりやっていこうと考えているのです」

神山町立神山中学校の校舎を譲渡してもらい、教室や寮を建設する予定だ

ダイバーシティー&インクルージョン(D&I)も重視しており、初年度に迎える新入生40人の男女比率は1対1にする。

「例えば美大では8割が女性です。極端なことを言えば、近々の未来のデザイナーは8割が女性ということ。一方、理系大学やエンジニア業界にいるのは、ほとんどが男性です。経営者や役員、管理職も男性が圧倒的に多い。世界でD&Iが進む中で、日本のこうした性的不均衡は許されるものではありませんし、これではモノやサービスを提供する企業はユーザーの気持ちに寄り添った研究開発ができません。社会の要請と教育のズレを是正するためにも、是が非でも男女比率を半々にします」

アート思考やデザイン思考のプロセスも学べる

カリキュラムもユニークだ。「モノをつくる力(デザイン+テクノロジー)」と「社会と関わる力(起業家精神)」に大別し、前者はさらに「言葉、数字、絵、プログラミング」の4つ、後者は「人と一緒につくる力、隣人と生きる力、コトを起こす力」の3つの要素に分類した。

「モノをつくる力で、コトを起こす人」の育成に必要な要素を落とし込んだ概念図

「マサチューセッツ工科大学メディアラボのネリ・オックスマン教授が『アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリングの4要素を学際的な領域を乗り越えて循環させることでクリエイティビティーを発揮できる』と説きましたが、彼女が言う4要素と、本校の『モノをつくる力』を構成する4要素は基本的に一致しています。アートの本質は問いを提起する力、つまり『言葉』だと思っていますし、サイエンスと『数字』、デザインと『絵』、エンジニアリングと『プログラミング』はまさに符合しますよね。

近年、アート思考の問いを立てるプロセスや、デザイン思考の問題解決プロセスがビジネス現場で注目されていますが、本校ではこれらに加え、サイエンスとエンジニアリングの思考プロセスまで学んでしまおうというわけです。第一線で活躍する現役講師もたくさん招きますし、現在希少人材といわれるフロントエンジニアやCGデザイナーなども生み出せる環境になるでしょう」

とはいえ、4要素をすべてカバーできる人間はまずいないので、生徒たちも得意、不得意が出てくると考えている。「でも、この4要素を学ぶことで得意分野と不得意分野をつなぐ『のりしろ』、つまり共通言語が獲得できるはず」と、伊藤氏は言う。

例えばデザイナーがPythonというプログラミング言語について知識があればプログラマーと話ができるし、逆にプログラマーが言葉の力を鍛えて自分の仕事を説明できるようになればデザイナーとわかりあえるようになる。まさに前述した、各自の領域を超えて理解し合う「三位一体」の実現が期待できる。

そんな視点から成るカリキュラムなので、授業もユニークだ。例えば、米国企業などで導入されている「SFプロトタイピング」では、現役のSF作家を講師に迎え、数十年後のユートピア的な未来とディストピア的な未来のシナリオを想定し、そこからバックキャスティングして、今取り組むべき施策を考える。これは国語の延長で「言葉」を強化する授業として位置づけている。

こうした「言葉」で表現する力をはじめ、ビジョンやアイデアを思い描く「絵」の力、エビデンスに基づき論理的に思考する「数字」の力、思い描いたビジョンやアイデアを実装するための「プログラミング」の力を総合的に鍛え、「モノをつくる力」を身に付ける。

そして、何かとたたかれやすくなった社会の中でも恐れずに「コトを起こす」ため、「ポジティブ心理学」などを通じて失敗を乗り越える力「レジリエンス」も養う。また、将来はさらにリモートワークや地域でのシェアリングエコノミーが広がり、IoTの進展でスマートシティー化していくことが予想されるため、「隣人と生きる力」や「人と一緒につくる力」の強化も重視する。こうした「社会と関わる力」を育てたいからこそ、神山町にこだわった。

「人口約5000人の自然豊かなこの町の中には、農家、伝統工芸家、建築家、芸術家などがいて、企業のサテライトオフィスも集まっています。多様な人たちの力を借りて、社会課題を解決していく実践の場とすることが可能なのです。だから、校名の『まるごと』は、神山町全体がキャンパスという意味。地域に関わることでどんな業種や職種があるか、地域経済はどう回っていくのかを学び、リーダーシップや協働性を養っていってほしい。町も歓迎してくれていて、農作物の栽培を行う食育の授業や、動物の飼育、サバイバルキャンプなど、地域とコラボレーションしたプロジェクトを考えています」

徳島県神山町は、ICT環境とサテライトオフィスを整備し、Sansanをはじめとする複数の企業を誘致。地方創生の成功例として知られる

「21世紀版バウハウス」を目指す!

伊藤氏が意識しているのは、1919年に設立され、現代建築・デザインの礎を築いたといわれるドイツ・ワイマール共和政時代の総合芸術学校「バウハウス」だ。

「『デザインの力で社会を変える』を旗印にしたバウハウスのように、われわれも『デザインとテクノロジーの力で自らコトを起こし、社会を変えていく人を育てる』を旗印にしています。目指すのは、21世紀版バウハウスです」

卒業後の進路は、就職が3割、編入が3割、起業が4割をイメージしている。起業に関しては、「スタートアップに限らず、家業を継ぐ子、アーティストなどいろいろなタイプの起業を応援したい」と言い、企業からメンターとしてのサポートと資金サポートを得られるよう動いていく。

「ほかにもさまざまな出口を想定しています。英語はかなりの授業時数を確保していて、ビジネスで使う専門英語の授業や、ネイティブスピーカーやオンラインを活用した英会話の授業も行い、海外留学にも対応できるようにしていきます」と、伊藤氏は話す。

開校資金に必要な約21億円は、民間企業や個人の出資、マクアケのクラウドファンディングで集めた5300万円などにより準備が整い、教員の採用もほぼメドが立った。2021年10月、いよいよ設置認可の申請を行う。

カリキュラムの調整や入試準備のほか、経済的理由で子どもたちが進学を諦めなくて済むよう奨学金基金の設立も進めており、乗り越えるべきハードルはまだたくさんある。しかし、企業を中心に外部からの期待は大きく、引き続き開校の実現とその後の展開に注目が集まりそうだ。

(文:田中弘美、写真と資料はすべて神山まるごと高専設立準備財団提供)