東大に行ってもいい、行かなくてもいい

――前回は、なぜ日本の高校生が、海外大学への進学を望むかについてお聞きしてきました。そもそも、日本と米国の中等教育、いちばんの違いはどこにあるのでしょうか。

例えば、日本の開成中学・高等学校でも、米国のボーディングスクールでも、前回にお話ししたような生徒の素質を伸ばすことを必死に行っています。私が校長を務めていた開成は、東大進学者数ばかりが注目される傾向にありますが、実は世界的なピアニストや研究者、クイズ王など、多方面に実力がある人材を輩出しているのです。開成は東大ばかりを見ているわけではありません。現在の東大現役合格者の割合は、3割弱くらいでしょうか。私は、それくらいでちょうどいいと思います。ただ、このように考えることのできる学校は少数派でしょう。

話を戻して、日本と米国の中等教育のいちばんの違いとは何か、についてです。それは、米国には日本における学習指導要領のような、全国的に共通する教育の指針が用意されていないことでしょう。もちろん、州ごとに指針をまとめている場合もあります。しかし、それぞれの学校や教師に委ねられている部分がとても大きい。そのため、天才や秀才の能力を引き出す教育は飛び抜けている。これは評価できる面です。

しかし一方で、それ以外の生徒に対しては実際には何を教えているのかよくわからないという面もあります。例えば、日本の生徒は、ほとんどが九九を暗記していますよね。米国でも九九を一応教えてはいますが、生徒はほとんど九九を記憶しておらず、割り算を手順に従ってする事ができません。米国の教育では、難しい計算をするならば、まずその方法を自分で創造しろということになるのです。私が「それでは教育ではないではないか」と意見すると、彼らは「九九を覚える必要なんてない。計算なら電卓でできる」というのです。米国の中等教育には暗記させたり、覚えさせたりすることは悪だという刷り込みがあるのです。

――日本の中等教育のように、一律に覚えることはよくないということでしょうか。

はい。ただ、私の考えでは知識には蓄積すべき必要量があると思っています。それが頭の中で自然に融合し、新しい発想が生まれる。知識はたくさんあってこそ、新しいものを生み出せるということです。その土台となる知識を、日本では中等教育でたっぷりと蓄えていく。その後、大学入学前に専門分野を決めて、大学1年生からは専門の勉強をしていきますが、教養課程がないという弱点があります。一方、米国では中等教育で社会性を身に付けさせ、大学1~2年生で初めて知識の詰め込みを行い、3年生から自分の専門分野を決めていくのです。その意味では、日本と米国の教育観がそもそも異なるのですね。

――先生はこれまで開成、東大、ハーバードなどで、たくさんの優秀な生徒や学生に接してこられましたが、彼らに共通している能力とは何でしょうか。

優秀な子どもに共通する能力とは、「きちんとしゃべれること」です。実はしゃべることは、ものすごく大事な力なのです。しゃべるには、自分が相手に伝えたいことを伝える能力が必要になります。それも相手にわかるような伝え方をしなければなりません。その伝え方を抽象化したものが「論理」です。人と人が理解できるのは論理だけなのです。

ですので、親が子どもを教育するときにいちばん大事なことは、どれだけしゃべらせるかということです。優秀な子を見ていると、できる子ほど親に話を聞いてもらっている。しゃべることほど頭の鍛錬になることはない、といってもいい。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのか。いわゆる5W1Hがなければ、自分が話したいことは相手に伝わりません。ですから、親は子どもに勉強を教える必要はないのです。むしろ、子どもに教えてもらってください。子どもは新しいことを知れば、うれしくなって話すものです。そうやってしゃべることが子どもにとって勉強の最大の復習となるのです。どんな話でも構いません。親は、子どもが話を始めたら、5W1Hを使って適度に合いの手を入れることで、話を広げる手助けをしながら、じっくり話を聞いてあげてください。

男女別学で、能力を伸ばす

――学校選びでは共学か、あるいは男子校か女子校かで悩む親も少なくありません。どちらも一長一短があるとは思いますが、中等教育という観点では、どちらのメリットのほうが大きいのでしょうか。

私は、中等教育の段階では男女別学が望ましいと考えています。ただ、誤解のないように言えば、大人の社会は男女平等で、共同参画であることが当然です。そこは強く意識しなければなりません。しかし、生物学的に言えば、男と女は異なります。その違いが顕著に出てくるのが、中等教育の時期なのです。人の成長を段階的に見れば、小学校では、男女はほとんど変わりません。その後中等教育の時期を経て、大学に入る頃に初めて成熟した男性と女性になるのです。

さらに、性に関しては、親も学校も教育することは難しい面があります。「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますが、これはまさに中等教育の時期のことを言っています。それぞれの性を充実させていくには、意外と親や先生ではなく、同性同士、それも年長の同性同士の話が参考になったりもする。それには男女別であるほうが正しく伝わっていくと考えているのです。私たちも見よう見まねで覚えてきました。

――共学はその点が異なるということでしょうか。

共学では、男女ステレオタイプの役割分担をする場合が多い側面がありますね。例えば、野球部は男子生徒が多く、マネジャーは女子生徒の場合が多い。一方、ダンス部は女子生徒が多いといっても、男子生徒がマネジャーにつくことはあまり聞きません。すでにステレオタイプの役割分担が生まれているのです。

また、女子生徒に理系の才能があったとしても、ステレオタイプな思考によって文系に移ってしまう場合もある。そこには無意識のジェンダーバイアスがあるのです。ちなみに東大の女子学生比率が、なかなか20%を超えないのは、東大女子だと男性に敬遠されるかもしれないという無意識のジェンダーバイアスがあるからではないかと考えています。そうしたジェンダーバイアスを最小限にするためにも、異性の目を気にすることなく、自分の能力を伸ばす環境は利点が多いのではないでしょうか。今、私立校で共学が増えているのは、まったく経営上の問題だといえるでしょう。

グローバル社会で必要な「自己肯定感と自信」

――グローバルな時代といわれる中、これからの子どもたちに必要な能力とは何でしょうか。

まず、10年後には国際化という言葉は死語になるほど、その環境は常識となっているはずです。そのとき、グローバルで生きていくために子どもたちに必要な能力となるのは、「自己肯定感と自信」です。今現在、先進国の間で国際比較をしても、日本の子どもたちの自己肯定感と自信は非常に低いものとなっています。そこを日本の教育は考えなければいけません。

では、子どもに自己肯定感と自信をつけさせるためにはどうすればいいのか。それは「駄目と言わない教育」を行うことです。否定しない教育と言ってもいい。こう言うと、それでは子どものやりたい放題になってしまう、と批判する方もいるかと思いますが、それは単に周囲の大人の力量が足らないのです。大事なことは、子どもが何かをやったとき、否定から入るのではなく、肯定から入って「これはいいね」「もうちょっと工夫すればもっと面白くなるかも」というように“ちょい足し”ができるかどうかなのです。ちょい足し部分で、どんなことを足すのか。そこから、子どもはその大人が持つ価値観を知り、見習うようになるのです。

――日本人は、褒めるのが下手かもしれません。

そうですね、こう話すと子どもに褒めるところなんてない、という方もいらっしゃるかと思います。その場合は、その子どもの3カ月前と今を比較してみてください。子どもはつねに成長していますから、必ずなにかの変化があるはずです。例えば、靴のひもを結べるようになることでも、大きな変化です。私はこれを「垂直比較」と呼んでいます。親は子どもがどんな状態であれ、とにかく褒めてあげる。そのとき、どう褒めるかで、子どもに親の価値観を伝えることにもなる。さらに、子どもは生き残るために親の保護が必要なことを本能的にわかっているので、親の機嫌がよくなって、褒めてくれることは、大なり小なり、やってしまう、やれるようになるものです。

余談ですが、米国の親は本当に子どもをよく褒めるのですよ。GREAT、COOL!など、英語で褒める言葉の単語は本当にたくさんありますが、けなす言葉の単語はほとんどありません。なぜなら使わないからです。日本語でも周囲が認めて褒めてあげることは、子どもの自己肯定感や自信につながっていくことは間違いありません。

――最後にICT教育については、どう評価されていますか。

ICTの最大のメリットは、教員が時間を合理的に使えるようになることです。教員は本当に忙しい。私も校長を退任して、やっと夜中に電話が鳴るようなことはなくなりました。学校では本当にいろいろなことが起こります。その報告は、昼夜関係ありません。しかし、ICTがあれば教員は時間を有効に使うことができるでしょう。

次に大事なのが、アクティブラーニングです。アクティブラーニングには教える側にも相応の技術が必要になります。米国では通常、先生と生徒のやり取りで授業を進めていきますが、これからの日本の教育でも、アクティブラーニングに取り組むにあたり、いかに子どもたちにしゃべらせるかということが重要になってくるでしょう。そのとき、どんな教育上の技術が必要なのか。今は、残念ながらそれだけの能力を持った教員は多くはありません。アクティブラーニングを日本語に訳すと「能動学習」となりますが、私は「脳動学習」と言い換えたほうがいいと考えています。生徒の脳をいかに動かすか。それには、しゃべらせて、褒める教育が重要になってくるのです。

柳沢 幸雄(やなぎさわ・ゆきお)
東京大学名誉教授。北鎌倉女子学園学園長。1947年生まれ。東京大学工学部化学工学科卒業。民間企業に勤務後、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。ハーバード大学公衆衛生大学院准教授、同大併任教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て、2011年より開成中学校・高等学校校長を9年間務めた。2020年4月より現職。著書に『後伸びする子」に育つ親の習慣』(青春出版社)『ハーバード・東大・開成で教えてわかった 「頭のいい子」の親がしている60のこと』などがある
(写真:柳沢氏提供)

(文:國貞文隆、注記のない写真:iStock)