暗記数学的な指導が中心、「考える力」を軽視
「暗記数学」という言い方がある。解法パターンを暗記して問題を解く勉強法のことである。数学といえば「考える学問」という印象だが、暗記数学では考える要素が少なくなってしまう。
現行の学習指導要領の基本的な考え方について、文部科学省はホームページでこう説明している。「いまだかつてなかったような急速かつ激しい変化が進行する社会を一人一人の人間が主体的・創造的に生き抜いていく」ことが必要とされており、そのために「自ら学び、自ら考え、主体的に判断」する力をはぐくむことが教育に求められている、と。
今の子どもたちには「考える力」が不足しているからこそ、なおさら必要性が強調されているともいえる。その不足している原因の1つが、暗記数学にあると考えられる。
暗記数学になってしまっている理由を、ある私立高校で数学を教えている教員は「やはり受験です」と言った。総合型や学校推薦型といった年内入試が増えるなど、大学入試にも変化はみられるものの、まだ主体は一般入試であり、そこでは点数が重視される。
限られた試験時間の中で多くの点数を取るには、余計なことを考えないで求められている答えを早く出さなければならない。そのために効率がいいのは暗記数学である。だから高校、そして高校受験を控える中学でも、暗記数学的な指導が中心になってしまい、結果として「考える力」が軽視されることになっている。
「マイナス×マイナスは何になるか、それはなぜか」を3時間やる
そういう中にあって、ドルトン東京学園中等部・高等部で行われている数学の授業は暗記数学ではない。生徒1人ひとりの自主性と創造性を育むドルトン・プランの実践校として2019年に誕生した同校の数学指導は、興味深い。
八島容子氏は現在、4年生(高1)の数学を担当しているが、この4年生が1年生(中1)のときから担当している。1年生のときには、こんな授業をしたという。
「『マイナス×マイナスは何になるか、それはなぜか』を生徒たちで議論する時間を取ったら、みんなが納得できる結論にたどりつくまでに、結果として3時間かかりました」
3時間続けての授業だったわけではなく、1日1コマずつを3日やったのだ。2日目でだいたいみんなが納得できる結論になり、3日目は総まとめをするつもりだった。その3日目に、1人の生徒から、自分で調べてきたことがあるのでみんなに説明したい、との申し出があった。
その内容が、大学レベルの「群論」という現代数学の領域にまで踏み込むものだったという。誰かに教わってきたわけではなく、自分でネットなどを使って調べてきたのだ。大半の生徒には難しい内容だった。「一生懸命かみくだいて説明してくれましたが、聞いている生徒たちは、半分以上は理解できなかったと思います」と、八島氏は笑った。
教科書には「マイナス×マイナス=プラス」という説明が載っている。一般的には、それを教員が説明して、生徒はそれが理解できても理解できなくても「マイナス×マイナス=プラス」だと暗記する。「なぜなのか?」と考えなくても、それでテストのときには点数を取ることができる。
にもかかわらず、なぜ八島氏は生徒たちに議論させるのか。それも、3時間もの時間を割いて、である。その疑問に彼女は、「教わるのと考えるのでは、それ以降の数学への向き合い方が変わってくるからです」と答えた。そして、続けた。
「一言でいえば、教えてしまうと教えてもらうのを待つ生徒になります。しかし考えるおもしろさを知れば、教わるのを待たずに自分で考えるようになるのではないかと思います。教えてもらうのを待つのは考えることを放棄しているのと同じで、それでは学問のそもそものおもしろさが半減してしまうと思います。数学のテストはできるかもしれませんが、それ以外の未知の問題に出会ったときに試行錯誤する力、疑問を抱く力、抱いた疑問を探究する力は育ちません」
ドルトン東京学園に入学してくる生徒の多くも、受験勉強を経験してきている。覚えた公式や解法パターンで問題に向き合う受験に役立つ暗記数学のテクニックを身につけている。だからこそ入学して間もない時期に、考えてもらう授業を行うのだという。「自分の頭で考えることを放棄しないでね、というメッセージも込めています」と八島氏は言う。
その議論の内容や様子は、クラスによっても違ってくる。その違いによって、クラスごとの授業の進め方を変えたり工夫したりもするのだという。教員の目は、あくまでも目の前の生徒を向いている。
といっても、3時間もかけて議論する授業が毎回行われているわけではない。ドルトン東京学園の授業も学習指導要領を土台に組まれているので、それでは授業時間が足りなくなる。それでも、ドルトン東京学園の教員は「考えさせる授業」に時間を割いている。そうなると授業中に練習問題までやるには時間が足りなくなる。「授業できちんと概念を理解してもらい、それを踏まえた練習問題は、各自にある程度は委ねることになります」と八島氏。
「私だったらこう考える」という答えが求められる
同じく数学を教えている師岡洋輔氏の話も聞いた。「求められた答えを書くのではなく、『私だったらこう考える』という答えが、ドルトン東京学園では求められます」と、説明する。入試では、「求められた答え」でなければ点数はもらえない。だからこそ、多くの学校では「求められた答え」に早くたどりつくための指導になりがちで、暗記数学優先になってしまうのだ。
ドルトン東京学園の「私だったらこう考える」を象徴する存在がレポートである。ほかの学校ではテストになるのかもしれないが、ドルトン東京学園の数学では、課題についてレポートを提出することになっている。テスト時間のように決められた短い時間の中で答えるのではなく、数日間の長い時間をかけて考え、答えるようになっている。
答え方に決まりはないし、答えも1つではない。「私だったらこう考える」が反映されていれば、ひとつの正解にたどりついていなくても評価される。中には、エクセルで計算したデータをレポートに貼り付けてくる生徒もいた。そこには、「すべて、このプリントに収まるようにプリントしたら少し小さな字になってしまいました。見づらくなってしまいましたが、ご容赦ください」というただし書まで添えてあった。
「ほかの学校でも、考えさせることを重視してはいます」と、師岡氏は言った。さらに続ける。
「本校は中高一貫で6年間を通しての授業ができるので、数学的な計算技能を身につけていくことはもちろん、数学的に考える力もじっくりと育てていくことができます」
受験を前提にしている学校では、受験で合格することを意識しないわけにはいかない。じっくり考える力を身につけさせたいと教員は思っていても、どうしても受験で点数のとれる指導を優先せざるをえない。中学と高校の連携も難しい。
しかしドルトン東京学園は中高一貫校なので、高校入試を意識する必要はない。大学入試も絶対ではなく、進路選択の1つでしかない。大学入試を受ける必要があれば自分で考えて取り組めばいい、というのが同校のスタンスだ。もちろん、放っておくわけではなく、それを目指し取り組む生徒にはサポートもする。ともかく、テストで点数を取るためだけの指導はしないのがドルトン東京学園なのだ。
「いろいろな考え方を認める」という同校の数学の授業では、「つまらなくて寝ている生徒はいません」と数学科の金行将浩氏は言った。そこに師岡氏が、「全員が数学を好きなわけではないと思いますが、自分の考え方を大事にしてもらえるので、苦手だけどやってみようという生徒はいるはずです」と付け加えた。
自分の考えが認められないのでは、誰しもつまらなくなる。1つの答えしか求められないのでは、なおさら、おもしろくない。眠くもなる。ドルトン東京学園の数学の授業は、そういうものとは明らかに違う。
「いろいろな考え方を認める」のは、教員についても同じだ。指導内容や進度が横並びにされているわけではなく、教員1人ひとりが考えて工夫して自分なりの授業を組み立てている。
ドルトン東京学園では「おもしろい授業をするのがいい先生」
金行氏は、「一般的には、“いかに教科書をわかりやすく解説するか”が教員に求められています。しかしドルトン東京学園では、授業中に教科書を開くことは珍しい。授業準備のときには教科書を開きますが、授業では自分で工夫した教材を使うことが多くなっています」と言った。さらに師岡氏が続ける。
「教科書は、授業が終わって生徒が開いてみたら知識がまとまっている冊子という存在だと思います。私は授業の最後に、『教科書ではこう説明しているよ』と示したりはしています。実際の授業は、目の前の生徒にあわせた教材を持ってきてやることのほうが多い」
そうなってくると、一般的な学校とドルトン東京学園では生徒による教員の評価も違うような気がする。それを質問すると八島氏が、「普通は、わかりやすく教えるのが『いい先生』といわれることが多い気がしますが、ドルトン東京学園では『おもしろい授業をするのがいい先生』なんです」と答えた。「おもしろおかしく」の「おもしろい」ではなく、興味をかきたてる、ワクワクさせるという意味の「おもしろい」だ。そういう授業なら、授業中に寝る生徒もいないはずである。
そうしたドルトン東京学園の数学について金行氏は、「探究心を持った生徒を育てていくことを数学科としては大事にしています」とまとめた。さらに、「探究をするうえでは基本的な力も必要ですから、そちらも充実させる取り組みも行っています」とも付け加えた。
暗記数学が主流になっている現状では、自分の頭で考えることを放棄してしまいがちなので、探究心を育てることにつながりにくい状態になっている。
それでは、学習指導要領の基本的な考え方で文科省が前提にしている「いまだかつてなかったような急速かつ激しい変化が進行する社会を一人一人の人間が主体的・創造的に生き抜いていく」ことはできない。ほかの学校でも、ドルトン東京学園で行われているようなワクワクする授業づくりが、もっと意識されていいのではないだろうか。
(注記のない写真:Flatpit / PIXTA)