年々増加する、海外大学を志望する生徒たち

――近年、海外大学への進学を目指す生徒が増えていますが、その現状をどう見ていますか。

現在、海外進学を目指す生徒は確かに増えています。ただ、「失われた30年」といわれる平成時代の前半は、逆に留学を志す生徒の数は減少していました。なぜ減少していたのか。それは日本が居心地のよい国だったからです。何もわざわざ海外に出なくとも、日本で将来に対する開けた展望や夢を持つことができたのです。

歴史的に見ても、「今いる場所」で将来の展望を見いだせないとき、若者たちは「外」を目指してきました。例えば、1964年の東京オリンピックの頃です。60年代、映画『三丁目の夕日』でも描かれていますが、中学を卒業して地方から都会に働きにくる若者がたくさんいました。「金の卵」と言われた彼らは、新しい産業の担い手として、言葉も食べ物も習慣も違う地方から、将来の展望や夢だけを頼りに東京にやって来たのです。

しかし、その背景には地方の農村が疲弊している一方、子どもの数は多く、地元で暮らしていても将来の展望を描けないという切なる事情があった。だったら「都会へ出よう」と、そこを飛び出してきたのです。

――なるほど。都会には夢があったのですね。

その後、日本は高度成長期を経て80年代後半からのバブルに象徴されるように「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる時代を迎えました。当時は海外より日本のほうが輝いていたんですね。だから、海外に出る若者も少なかった。最近の若者は海外に出る気概がなくなった、と嘆く人もいました。しかし、90年代後半から失われた30年の時代が到来する中で、このままの日本では、自分の未来を開けないという思いを持った野心ある若者、あるいは好奇心の強い若者たちが、再び海外へ出ていくようになった。そうしたサイクルが日本では50年置きに起きており、それだけ日本は浮き沈みを繰り返しているのです。将来の輝く展望が描けないとき、若者は外に、国内であろうと国外であろうと出ていこうとするものなのです。今もそうです。日本国内では、将来のキャリアや将来の展望を描けないからこそ、海外を目指している生徒が増えているのです。

――最近の特徴として、国内の大学に進学してから海外の大学院を目指すのではなく、高校から直接、海外の大学への進学を目指す若者が増えています。

大学院から進学するのと、大学の学部から進学するのとでは、その効果も大きく変わってきます。大学院から進学する学生は、自分の専門分野がほぼ決まっており、その学問分野の基本概念は学部時代に出来上がっています。いわば、日本語で概念形成が成されているわけです。一方で、高校から大学の学部に進学する学生は、まったく新しい学問概念を外国語で身に付けることになります。そこがいちばん大きな違いなのです。

――そうなると、どのような効果が生まれるのでしょうか。

実は大学の学部教育において、世界でも自国語で教育できる国は限られています。例えば、欧州のスカンジナビア半島にあるスウェーデンやノルウェーは先進国ですが、人口が少ないため教科書のほとんどは英語です。また、発展途上国においては、人口は多いものの大学進学率は低く、こちらも自国語のテキストはありません。

世界を見ても、高度な学問を自国語で教育している国は、日本のほか、米国、英国、ロシア、中国、フランスくらいしかない。その点では日本は優位にあると思われるかもしれませんが、その一方で日本は国連の常任理事国ではなく、国際政治の主要なプレーヤーになりえていません。主要国と比べ、そもそも世界へアプローチしにくい国のもとで、自国語でしか学問形成できていないということは、優秀な若者にとっては、世界で活躍するうえで大きなハンディキャップとなるのです。だからこそ、グローバル時代といわれる中、学問の概念をできるだけ多く外国語で身に付ける経験が重要になってくる。その意味でも、私は学部段階から海外に進学することを勧めているのです。

――将来的にはより早く、例えば高校の段階から海外進学を目指す生徒も増えるのでしょうか。

それは、私はお勧めしていません。なぜなら、中・高の中等教育と大学以降の高等教育では、個人の成長プロセスの中で形成すべき内容が異なっているからです。中等教育段階は生きる力を学ぶことが最優先であり、そのほかに膨大な量の、基礎的な学問的知識を身につける必要がある。外交的な性格で、基礎的な学問知識を難なく身に付ける事の出来る若者でない場合には、虻蜂取らずになる懸念があります。

“水平型”で学ぶ日本、“深堀り型”で学ぶ米国

――最近は海外の大学ばかりを称揚する傾向にありますが、実は東京大学の学生もハーバード大学の学生も実力はそれほど変わらないという話もあります。その点はいかがでしょう。

確かに大学に入学する段階では、日本の高校生は世界1のレベルだと思います。しかし、大学4年生ともなると東大生のレベルは、ハーバード大の2年生にも負けてしまうような現象が起きたりもします。それは大学教育での鍛え方が違うからです。単純に言えば、勉強量が違います。私もハーバード大で教員として授業を行ってきましたが、あちらの学生は週60時間ほど勉強しています。日本の大学生より圧倒的に勉強しているのです。

日本の高校生は大学入学までに、学習指導要領によって薄く広く“水平型”でいろんなことを学んでいますが、一方で米国の高校生は“深堀り型”の教育を受けています。米国では日本のように全国的な学習指導要領がありません。州ごとに、あるいは教員の好みによって学習内容が異なっています。そのため、深堀り型の米国の教育では、自分で課題を設定し、自分で調べ、自分でまとめる。いわば、PDCAサイクルを回していく形になります。それが米国の教育の基本です。

ちなみに米国の大学の教科書はとても分厚い。例えば、経済学なら微分積分から教えていきます。入学後すぐは、まず基本的な知識を詰め込んでいくのです。理論的な経済学を学ぶためには、数学ができなければいけないからです。日本では、全国どこの生徒でも微分積分を高等学校で習います。しかし、米国の高校生は生徒によって、どこを深堀りしているのかわからない。そのため、大学で改めて基礎的なスキルを習得させる必要がある。そうすると、教科書が分厚くなるのです。

米国の学部教育は徹底した詰め込み型です。しかしその後は、専門分野を深堀りさせ、厚く勉強させる。日本は高校時代に詰め込んで、そのあと大学では、遊ばせてしまうから使い物にならなくなるのです。

――知識を詰め込む段階が日本と米国では異なるとはいえ、そうやって優秀な日本の学生が海外の大学に流れていくようでは、日本の将来の国力に影響しませんか。

教育の目的は、基本的に一人ひとりの力量を最大限に発揮できるような形をつくることにあります。それが巡り巡って国力にとって望ましい形になれば、それはそれでいいことでしょう。ただ、それはあくまで第1目標ではありません。個々人が自分というものをきちんと表現して、自分の個性を大切に生きていくという選択をするのであれば、海外に出たほうがいいでしょうね。日本と比べると海外に同調圧力はありません、忖度そんたくもありません、と言うことができます。

リベラルアーツカレッジで、どんなことが学べるか?

――高校の段階で日本の生徒が諸外国に比べても優秀なのであれば、日本の大学でハーバード大学に比するような教育を施すことはできないのでしょうか。

これから100年経てば、そうなるかもしれません。ただ現状は難しいでしょう。私は東京大学で教えていて、そう思いました。なぜ日本の大学は、ハーバード大のような著名な海外の大学に比肩しうる教育ができないのか。それは日本の大学の教員に教育するという意識がないからです。日本の大学の教員は、自分のことをあくまで研究者として自己規定しています。確かに米国でも、ハーバードやMITなどの研究型大学は、日本と同じように教員は研究者です。ですから、もし日本の若者が海外に進学して徹底的に基礎から勉強したいのなら、米国のリベラルアーツカレッジ(注:アマースト大学、ウィリアムズ大学、スワースモア大学、カールトン大学など)を推しています。リベラルアーツカレッジの多くの教員は、自分を教育者だと自己規定しているからです。リベラルアーツカレッジは教育機関として優れていると思います。

戦後、日本の教育制度を変えるときも、GHQはリベラルアーツカレッジの仕組みを導入しました。その結果、大学に教養課程ができた。しかし今それが組織として残っているのは、ほぼ東大だけなのです。私は、自分の専攻分野である化学工学の魅力を教養学部で教わりました。今、リベラルアーツを学びたい日本の高校生がいるのなら、東大か、米国のリベラルアーツカレッジに行くことを勧めています。

――ちなみに東大教養学部の前身である旧制第一高等学校を始め、日本にもかつては国立のナンバースクールや、公私立の旧制高校でリベラルアーツを教える仕組みがありました。そこから多くの優秀な人材が輩出したといわれています。

旧制高校がよかったのは、学生の個性を尊重したことでした。例えば現在、東大への高い進学率を目指す学校は受験生や保護者には魅力的に映るかもしれません。しかし、それは実際には東大に合格するためのロボットをつくっているにすぎないのです。教育の本質は、ロボットをつくることではなく、それぞれの子どもが持っている素質をどうやって引き出すかにあります。“型にはめる”のではなく、“引き出す”ことが重要なのです。米国の教育はそれができている。だから、米国では世の中を変えるような、傑出した人物が生まれるのです。

次回に続く。

柳沢 幸雄(やなぎさわ・ゆきお)
東京大学名誉教授。北鎌倉女子学園学園長。1947年生まれ。東京大学工学部化学工学科卒業。民間企業に勤務後、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。ハーバード大学公衆衛生大学院准教授、同大併任教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て、2011年より開成中学校・高等学校校長を9年間務めた。2020年4月より現職。著書に『後伸びする子」に育つ親の習慣』(青春出版社)『ハーバード・東大・開成で教えてわかった 「頭のいい子」の親がしている60のこと』などがある
(写真:柳沢氏提供)

(文:國貞文隆、注記のない写真はpearlinheart /PIXTA)