キャンパスは持たず、世界7都市に滞在して学ぶ

ミネルバ大学は、2014年9月に開校した全寮制の総合大学だ。創立したのは当時、教育界では無名だった起業家ベン・ネルソン氏。以来、数年でハーバード大学やスタンフォード大学などの米名門大学の合格を辞退して進学する学生が出るほどの超難関大学といわれるようになった。

だが、ほかの名門大学のような豪華なキャンパスや研究施設は持たず、学生は4年間でサンフランシスコやロンドンなどの世界7都市を巡る。滞在先では寮で生活し、アクティブラーニングをもとにしたオンライン学習型のカリキュラムと、現地の企業や研究機関などと協働でプロジェクトに取り組む実践型プログラムとの両軸で学ぶ。また1学年約120~200人と比較的小規模で、学生の81%が米国以外の留学生と国際色豊かなのも特徴だ。卒業生は有名企業から引く手あまたで、すでにスタートアップや社会起業家なども輩出している。

驚くほどの短期間で、既存の名門大学をしのぐ実力を持つに至ったミネルバ大学だが、その真の狙いは「高等教育の再創造」にあるという。

ミネルバ大学が目指す「高等教育の再創造」とは

15年から17年までミネルバ大学の日本連絡事務所代表を務めた山本秀樹氏は、同大学が生まれた理由は4つあると話す。

まず、1つ目はアイビーリーグをはじめとする米トップ校が、限られたお金持ちの子息が通う“富裕層クラブ”になってしまっていることだ。一見、才能のある世界中の学生に門戸が開かれているように見えるものの、実際は学費が高くてアクセスできる学生が限られている。学費のほか寮費や課外活動費などを含めると年間1000万円近い費用が必要なため、経済的支援を得られるのが一部の学生と考えると、残りは全額自己負担できる富裕層の学生になるというわけだ。

山本秀樹(やまもと・ひでき)
1997年慶応義塾大学卒業。東レを経てブーズ・アンド・カンパニー(現・PwC Strategy&)入社。2008年英国ケンブリッジ大学経営管理学修士(MBA)修了。その後、住友スリーエムを経て14年に独立。15〜17年までMinerva Schools at KGI(ミネルバ大学)日本連絡事務所代表を務める。現在は、最新の教育事例を研究して発信するDream Project Schoolを主催するとともに清泉女子大学地球市民学科顧問、第一学院高等学校顧問、ビジネスブレイクスルー講師なども務める
(写真:本人提供)

「アイビーリーグの各大学、スタンフォード大学、デューク大学といった米名門大学の入学者は、トップ1%の高所得層の子息が平均所得より下の低所得層の子息より多く、不公平な状態になっています。しかも、自校の卒業生の関係者には甘い合格基準を設定している大学もあり、公平な入試審査が行われているとは言いがたい状況にある。ちなみに米国の大学入試では『アジア人、女子、貧困層』は最強のキーワードだという有名な話があります。マイノリティーの指標すべてに貢献できるという意ですが、その条件を満たす学生を採って、大学は入学者の偏りによる批判を浴びないよう数値的に利用している側面があるのです」(山本氏、以下同)

2つ目の理由は、国際性の欠如だ。実は、大学時代に海外で学ぶ学生は全体の約2.5%しかおらず、その約70%以上が北米、欧州、オセアニアに留学しているというデータがある(OECD「Education at a Glance2014」)。グローバル化、情報化が進む社会では異文化を理解し、多様な視点で課題解決できる人材が求められるが、そうした状況では国際的な問題が欧米やWASP(ワスプ:アングロサクソン系プロテスタントの白人支配層)の視点だけで語られることにならないか懸念がある。「米国でも留学生が15%以上いる大学のほうがマイノリティーで、トップ校でさえも留学生は1割を切っていて、ほとんどが自国民」だと言う。

3つ目は投資対効果だ。ミネルバ大学の設立プロジェクトが始動した12年ごろは、米国の大学生は入学者の半分以上が卒業できず、卒業してもフルタイムの仕事に就ける人は、さらにその半分という現実があった。

「ミネルバ大学が設立された14年は、米国の学生ローンの残高が1兆ドルを超えたという衝撃的なニュースが報道されました。そんなに高い学費を払わせて、学生たちを借金漬けにしているのに、大学が本当に社会で役立つ知識や技能を身に付ける教育を行っているのか疑念が生じているのです」

4つ目は、まさにその大学教育で教えていることが、社会に出る準備になっていないということだ。「大学側は学生たちに社会に役立つ教育をしているという認識がある一方、雇用する側の企業のほとんどは、そう思っていないという大きなギャップがある」と話す。全米大学協会が行った調査では、雇用主の93%が「どんな学科を専攻したか」ではなく「問題解決能力があり、困難な事態にも協調性をもって取り組める人材がほしい」と答えているが、そのスキルが既存の大学の履修科目で身に付くのかは疑わしい。

こうした米国の大学が抱える4つの課題を乗り越えるために、ミネルバ大学は生まれた。

通常アイビーリーグでは、年間450万~600万円ほどの学費がかかるが、ミネルバ大学はその3分の1から4分の1となる145万円程度。維持費のかかるキャンパスなどの施設を持たないのは費用を抑えるためで、学生の学びに直結しない投資は極力行わない。それでも日本の大学よりは高いが、ミネルバ大学には入学者の経済状況に応じた給付型の援助制度がある。さらに低金利の学生ローンもあり、それも学内インターンシップに参加すれば、在学中に返済できてしまうという。

学費を抑えて学生の負担を減らすことで、ミネルバ大学は世界中から留学生を受け入れることが可能になり、“どの所得層にもいる才能があって努力する層”にアクセスができるようになった。そうした優秀な人材を集め、最新のテクノロジーを活用したアクティブラーニングで新しい教育を施し、社会の要請に合った新たな人材を育成しているのだ。

「日本にいると、米国の大学はすばらしいように見えますが、そこに通うのはほんの一部の恵まれた人たちなのです。日本から米国に留学している人たちも、富裕層の子息がほとんど。もともと米国の大学は、階層に分け隔てなく優秀な学生を受け入れ、リベラルアーツを軸に少人数教育で確かな判断ができる人材の育成を目指してきました。しかし、大学が巨大化する中で、いつの間にかそんな理想も教育も変質してしまった。ミネルバ大学は、もう一度大学の原点に立ち返って高等教育を再創造するために生まれ、『世界のために英知を提供すること』をミッションとしているのです」

周到なマーケティング戦略で、優秀な学生を短期間に集める

だが、なぜ無名で信用もなかった新設の大学が、短期間のうちに優秀な学生をひきつけることができたのか疑問に思う人は多いに違いない。そこには周到なマーケティング戦略が存在する。

中でも、とくに日本の大学が見習いたいのは、“どういう人たちを学生にしたいのか”という部分にフォーカスしたこと。ミネルバ大学は、経済力にかかわらず、世界中から才能があって努力もできる学生を集めたかった。そこで、教育格差に関心の高い公立高校教員組合のロビイストや、国際性の促進に熱心な国際バカロレア機構、女子を対象にSTEAM教育を行うアラブ首長国連邦の財団など、ミネルバ大学の教育ニーズがあるターゲットを中心に広報活動を行ったのだ。

しかも、実際に学生がどんなニュースやメッセージを見て志望したのか、データを蓄積することで効率的に情報を拡散させていった。いわば、ビジネスの発想を広報や入試に取り入れたのだ。もちろん、こうしたデータを蓄積、分析して活用することは大学の教育においても実践されている。

ミネルバ大学では、「ミネルバ・フォーラム」と呼ばれる独自のオンラインプラットフォームを利用して、すべての授業を原則アクティブラーニングで行っている。どの科目においても、社会で役立つ汎用的かつ実践的な4つのスキルとして「クリティカル思考」「クリエーティブ思考」「プレゼンテーション能力」「コミュニケーション能力」を体得することを基本としている。

独自のオンラインプラットフォーム「ミネルバ・フォーラム」を利用したディスカッション中心の授業

20名以下の少人数でディスカッション中心に行われる授業は録画されており、教員はすべての学生の発言をチェックして、毎回フィードバックを行う。しかも、どんなフィードバックをすれば、どれくらいの期間で、学生の理解度がどれほど上がるのかというデータを取っていて、そのデータに基づいて教員も教授法を修正し、授業のコンテンツを変えるという。

授業中は学生の発言頻度が色分けで表示される。赤は十分に発言、黄色は中程度、緑は発言不足を表す
(ミネルバ大学HPより)

こうした密度の高いフィードバックができるのはオンラインならではだが、それが経験や勘によるものではなく、データに基づいているから確実なスキルの体得につながるのだろう。さらに学生は、企業や研究機関などとの協働プロジェクトを通して、そのスキルを自由に使いこなすことができるレベルにまで持っていくのだ。

今やミネルバ大学の躍進を横目に、カリフォルニア大学バークレー校(法科大学院)をはじめとした米国のトップ校でもミネルバ大学で利用されているオンライン学習システムが導入され始めていると山本氏は話す。

「それは学校教育の評価について、ミネルバより劣勢に立たされそうになっているからです。ICTを実装した教育や学校運営が確実によい効果を生むとわかれば、使わない手はない。しかし、そのとき苦労するのは、学生よりも先生や職員のほうです。ミネルバ大学でさえ、学生は大体3時間で新しいシステムに慣れるが、先生たちは最低3週間かかるといわれています。ICT導入の最大のハードルは、先生や職員のITスキルにあるのです。しかし、使いこなすのはそれほど難しくはない。問題は、自分がこれまでやってきたことを変えたくないという考え方。先生や職員、経営者たちがマインドセットを変えないことこそが、ICT導入が遅れる大きな理由となっているのです」

日本では、GIGAスクール構想の前倒しにより公立の小・中学校で「1人1台端末」が配備されたばかり。義務教育段階のICT活用を高校へとつなぐため、引き続き各自治体ではインフラ整備が急ピッチで進められている。だが、教育現場にICTを導入する本来のメリットは、こうしたICTを通じて得られたデータの活用により個別最適な学びの実現や一人ひとりの子どもの可能性を最大限に引き出すことにある。大学教育においてもしかりで、オンラインか対面かではなく、こうした最新のテクノロジーをうまく生かしながら、社会で活躍できる人材をいかに育成するかを本気で考えなくてはならない。

ミネルバ大学は、こうした取り組みによって、自分たちの大学規模を大きくしようとしているわけではないという。目的はあくまで「高等教育の再創造」にあり、そこではつねに“北極星”であることを望んでいるようだ。ミネルバ大学が、なぜ講義型の一斉授業をやめ、全授業オンラインのアクティブラーニングに変えたのか。その背景を考えることから、教育の新たな景色が見えてくるのではないだろうか。

(注記のない写真はミネルバ大学提供)

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