「協調性のない高齢者」のほうが"若い"という根拠 「心のブレーキ」が老いを加速させるその理由
ところが同じ高齢者でも若々しいタイプは違います。
結果がわかっている世界より、予測できない世界のほうを選びたがります。たとえばみんなで食事をするときでも、メニューに聞いたことのない料理名を見つけると「これなんだろ? 食べてみるかな」と面白がります。周りが「やめとけ、食べ残したらもったいない」と声をかけても「そのときは手伝ってくれ」と愉快がります。
結果はもちろんいろいろです。思いがけない美味しさに大喜びするときもあれば、やっぱり口に合わなくて「失敗したなあ」と後悔するときもあります。
でもこういうタイプはめげないのです。
同じような場面になればまた未知のメニューに挑戦します。旅行や読書、あるいはファッションでも同じです。知り尽くした安心感より、未知の経験や世界のほうに惹かれてしまいます。ワクワク、ドキドキすることが快感だからです。
年齢が若くても「心の老い」が始まっている人
こういうことは、必ずしも高齢者に限った話ではありません。年齢に関係なく、結果がわかっている安心を選ぶ人と、予測できない世界のワクワク感を選ぶ人がいるからです。わたしはここにも心の老いや若さが表われていると思います。
どんなに年齢が若くても、結果が予測できる安心・安全を選ぶ人は、すでに心の老いが始まっている可能性があります。そういう人が結局、ある年齢になると「わたしももう70歳過ぎたのだから」と意識し、年相応の分別や落ち着きを言い聞かせ、好奇心を抑え込んで自分の願望を封じ込めてしまいます。年齢呪縛に捕まりやすいのです。
なぜなら年齢というのはいちばん確かな現実になります。
やってみたいことや、試してみたいことがあっても、「もし失敗したら」と考えるとついためらいます。結果を予測できない世界に踏み出すことは勇気が要ります。たとえ心がそれを求めているとしても、「いくつになったと思うんだ」と実年齢を言い聞かせることで諦めがつきます。確かな現実を持ち出せば、心の不自由を受け入れることも納得できるのです。
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