「協調性のない高齢者」のほうが"若い"という根拠 「心のブレーキ」が老いを加速させるその理由

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サラリーマンのランチなんかがわかりやすいでしょう。若いころは「今日はなに食べようかな」と考え、あっちの店、こっちの店、評判になっている店や行列のできている店にせっせと出かけていました。

ところがある年齢になってくると、ランチのメニューが決まってきます。「〇〇軒のラーメン」とか「○○屋の天ぷらそば」といった定番メニューが決まってしまい、それ以外の店には出かけなくなってきます。

自分でもつくづく「よく飽きないな」と感心しますが、慣れ親しんだ味がいちばん無難だと思い込んでいます。心の老いはランチのメニューにも表われるのです。

「丸くなったな」と気がつく心の老いがある

もう1つ、心の老いを教えてくれるものに協調性があります。

協調性には少しも悪いイメージはありません。組織で仕事をしていればチームワークは何より大事ですから、協調性こそ求められます。

自分の考えや意見にこだわってチームに逆らうとか、命令や指示に従わないような人間は組織には不要ですから、どんなに能力があっても「あいつはわがまま」とか「自分勝手で協調性がない」と見なされてしまいます。

ここでも面白いのは、協調性が成長とか成熟としばしば同一視されることでしょう。

「入社したころは逆らってばかりいたけど、最近はだいぶ協調性が出てきたな」

「彼も近ごろは協調性が出てきた。成長したんだな」

組織に馴染んできた部下を上司はしばしばこんな言い方で褒めます。採用面接の場でも、協調性の有無は大事なポイントになるでしょう。協調性が身についてきたかどうかが成長の目安にされてしまいます。どんなに在社年数が長くても、協調性のない人間は出世できなかったり大きなプロジェクトに入れなかったりします。

ところが老いてくると、この協調性が自然に備わってきます。備わってくるというより、自分に言い含めるようになってきます。

「いい齢をしてわがまま言うと嫌われるな」とか「齢なんだからもう少し穏やかにならないと」と自分に言い聞かせ、家族や周囲の意見に合わせるようになってくるからです。

周囲に合わせる、同調圧力に負けてしまう

それができるようになると、ふと自分でも気がつきます。

「わたしも丸くなったな。それだけ齢を取ったのかな」

そう考えることで何となく納得してしまいます。

でも、自分がやりたかったことや主張したかったことはどこに消えたのでしょうか。抑え込んで我慢したのだとすれば、心は不自由を受け入れたことになります。そのことで老いを実感できたとすれば、それも心の老いということになるはずです。

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