歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に

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歌舞伎界は、江戸時代の役者の身分制の影響が残る体質の古さが指摘され、それゆえの不祥事がたびたび報じられてきた。「名跡」を持つ役者の嫡男が「御曹司」として「お家芸」を継承し、経験(芸道精進)を経てその名跡も継承していく。そして、その名跡を柱として、門下の役者によって集団が形成され、市川團十郎家の「成田屋」や尾上菊五郎家の「音羽屋」などの屋号で呼ばれる。猿之助率いる「澤瀉屋」もそのひとつで、猿之助の名跡は大名跡とされている。

昭和の時代から、歌舞伎界では不倫や隠し子程度のことは問題視されることではなく、特段に珍しいことでもないとされた。ただ世間一般の感覚とはずれがあり、メディアで騒がれることも多い。現在の歌舞伎界を支える名跡の役者も親世代の破天荒な行いを見てきたからであろうか、不倫等に加えて、セクハラやパワハラ等のスキャンダルが報じられることがある。

團子の父は俳優香川照之(歌舞伎俳優名:市川中車。猿之助の従兄弟)だが、香川自身も不祥事でテレビ界から排除され続けているなかで、市川中車として歌舞伎の舞台には復帰し、今月の舞台にも息子の團子とともに出演している。これも歌舞伎界の不祥事に対する甘さだとする指摘が多い。

そうした中での「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」。人気の猿之助の公演ということもあり、チケットの販売状況は悪くはなかったが、完売というほどの状況ではなかった。そこに突然の事件で、公演中の主役が不在になった。だれもが公演継続は不可能と思うところだが、急遽代役を立てて公演が続けられた。

市川猿之助
創業150周年を迎えた明治座のロビー(筆者撮影)

代役を観たい客が殺到

一方で、こうした歌舞伎界の影の部分を引きずる慣習が魅力となっている面もある。チケットの規約には「公演中止以外は払い戻しは一切しない」とあるが、さすがに「猿之助奮闘公演」と銘打っていながら猿之助休演では、そうはいかないと考えたのであろう。明治座はチケットのキャンセルに応じる決定をした。キャンセルが相次いでも不思議ではないと思われたが、代役を見事に演じる團子と隼人が話題となり、その姿を観たい客が殺到し、客席は大盛り上がりとなった。

特に團子は、前述したように昼の部には出演していなかった。しかし、事態が起きた2日後には代役を演じ切った。香川照之の長男・政明で、澤瀉屋の名跡のひとつである市川團子を8歳で襲名し以降、猿之助のもとで歌舞伎俳優として経験を積んできた。

澤瀉屋の名跡・團子を名乗ること自体が、のちに猿之助を継承する可能性を自覚し、また世間にもそう思わせることとなり、それゆえに芸道精進してきたということであろう。父・照之も異例の46歳になって歌舞伎俳優となり市川中車を襲名したが、息子・團子の代役成功は、團子が猿之助を継ぐとの印象を世間に改めて認識させた。

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