そんな啓介さんは小百合さんの芸術活動のお手伝いなどをしながらも、「何かしら気持ちが楽になる」と感じられる結婚生活を送っていた。しかし、わずか2年後に平穏が打ち破られる。小百合さんががんを患ったのだ。
日本の病院を紹介してもらって治療に専念したが、1年後には脳に転移してしまう。抗がん剤を投与しながらの闘病の日々。最後に倒れたときは救急車で運ばれ、「延命措置をするかどうか」を問われた。
「彼女のきょうだいに相談する時間もありませんでした。十分にがんばったと思うので『もういいです』と答えましたが、人の命を決めなくちゃいけないのはすごく苦しかったです」
妻の死の後、自暴自棄になりかけた
小百合さんの死後、彼女の知り合いから「なぜこの治療をしなかったのか。どうしてあんな無謀なことをしたのか」といった心無い言葉が聞こえるようになった。例えば、死の直前に小百合さんの希望で夫婦旅行に行ったことなどを批判されたのだ。
「当事者にしかわからないことばかりなのに、なぜそんなことを言われなくちゃいけないのでしょうか。『(お世話を)よく頑張ったね』と言ってくれる人もいましたが、その本心まで疑うようになってしまって……。中国の都市での日本人コミュニティーは狭い世界なので戻りづらくなりました」
現地には戻らず、実家で両親と暮らしながらリモートで働くことにした啓介さん。しかし、心の傷は癒えずに自暴自棄になりかけていたと振り返る。
「夕方までは家で仕事をして、それから地元の飲食店を3、4軒はハシゴする毎日でした。帰宅するのはいつも明け方でしたね」
そんな日々の中で、やはり酒場で出会ったのが典子さんだった。東北出身の彼女には、会ったこともない小百合さんとの間に共通点がある。高校時代に血液のがんである悪性リンパ腫を患った経験があるのだ。
「まさにゼロか100かの世界でした。幸いなことに私は生き残ることができましたが、人が亡くなることは不可逆的で取り返しのつかないことなのだと身をもって知った気がします」
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