浅草乗り入れをめぐる「東武と京成」の悪戦苦闘 両国が今より栄えていた墨田区・江東区の旅
途中に小名木川駅が置かれ、貨物列車が運行されていたが、現在は廃止によって、定期貨物列車は走らず、越中島貨物駅にあるレールセンターから、レール輸送の列車が不定期で運行されている。
非電化であるため、DE10が牽引するチキなどで組成された列車が走っていたが、2021年3月からは、キヤE195系に置き換わり、レール輸送用新型気動車が活躍している。旅客線ではないため、乗車して景色を楽しむことは出来ないが、沿線を歩いてみると、かつて貨物を取り扱っていた小名木川駅のあった場所まで築堤上を走り、小名木川をトラス橋で越えるのがわかる。葛飾区編で紹介した新金線同様、複線用地のある興味深い路線である。
途中にあった貨物駅の小名木川駅は、2000年に廃止され、ヤード跡はショッピングモールに生まれ変わったが、全盛期は多くの貨物で賑わい、D51やDD51が牽引してきた貨物列車をDD13などが入換作業する姿を見ることができた。
小名木川駅より越中島貨物駅方向へは、途中から明治通りを越える専用線があり、さらに進むと、汽車会社の東京工場への側線があり、新製された車両がこの貨物線を利用し出荷された。また、完成を見なかったが、明治通りに沿って夢の島公園方向に線路を建設し、京葉線と繋ぐ計画があった。用地を一部取得していたが、貨物の衰退に伴い計画は中止され、現在は用地の一部を見ることができる。
「房総の玄関」の栄枯盛衰
両国といえば、真っ先に国技館を思い起こす人が多いだろう。一度は蔵前に移転していた時期もあるが、再び現在の場所に戻って来たのは1984年のことで、翌年に落成式がおこなわれた。駅前の一等地に位置し、場所中は多くの観客で賑わうこの地は、国鉄バスの東京自動車営業所があり、東名高速を走るバスが出入りしていた。
東京自動車営業所は、1972年に錦糸町―東京間の地下線開通に伴い、用地を提供し廃止となった両国貨物駅跡に出来たため、元々は江戸東京博物館などの用地を含めて国鉄の用地であった。
現在では総武緩行線の中間駅としての印象が強いが、かつては多くの列車が発着する千葉方面と物流との要所であった。両国駅は1904年に総武鉄道によって、両国橋駅として開業した。当時は隅田川を越える鉄橋を建造するのに時間がかかることもあり、両国橋駅が千葉方面への玄関口となった。
旅客のみならず隅田川と水路をつなぎ、舟による貨物の連絡輸送もおこなわれたほか、亀戸に東武鉄道との連絡線を設け、乗り入れをおこなった。旅客列車は、1910年まで両国橋へ直通していたほか、貨物列車は新金線が開通する1926年まで乗り入れていた。現在の2両編成でのんびり走る亀戸線の姿とは、随分と違う光景であった。そして、1931年に現在の駅名である両国駅に変更された。