セコム創業・飯田亮が89年貫いた「艶っぽい」人生 生まれながらの事業家が究めたビジネスデザイン

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飯田氏は1993年(昭和8年)、江戸時代から続く東京・日本橋馬喰町の老舗酒問屋「岡永」で、男5人兄弟の末っ子として生まれ育った「生粋の江戸っ子」である。粋な日本橋言葉を使った。筆者と対話しているときも、「長田さん」ではなく「お前さん」と親しげに話してくれた。飯田氏が好んだ時代小説や江戸落語の世界に誘い込まれたような気分になった。

戦中(第2次世界大戦中)に神奈川県葉山に疎開し、旧制・湘南中学(現・神奈川県立湘南高校)で戦中・戦後の青春時代を過ごした。石原慎太郎氏(作家、元・東京都知事)と同級生であったこともあり、第34回芥川賞を受賞し、映画化された『太陽の季節』(慎太郎氏の弟である俳優・石原裕次郎氏は、この映画で脇役としてデビュー)に登場する「太陽族」の主人公は、飯田氏がモデルであると噂になったことがある。その真偽を確認すると、「あの頃、彼とはそれほど親しい仲ではなかった。ともに海が好きだったが、一緒にボートやヨットに乗ったことがない」と、主人公モデル説を暗に否定していた。

「堅すぎず、柔らかすぎず」

むしろ、社会へ出てからの方が石原氏との交流が深まり、一緒にボートに乗ってお互い海の男を楽しんでいた。慎太郎氏は2022年2月、飯田氏と同じ89歳で先立った。人生の最後まで「同級生」だった(ちなみに、文芸評論家の江藤淳氏も湘南高校の同級生)。

セコム創業者の飯田亮氏
(写真は2003年、撮影:梅谷秀司)

終戦直前の1945年2月25日、日本橋の家が戦火に襲われ喪失してしまったことから、飯田氏の意識の中では、「湘南ボーイ」の色が濃くなったのかもしれない。「湘南ほどいいところはない。湘南育ちはどこかのんびりしたところがあり、顔を見ればわかるような気がする」と話していたことからも、湘南愛が感じられた。とはいえ、江戸っ子のいなせな風情も備えていた。同世代の経営者は、飯田氏を「堅すぎず、柔らかすぎず」と評している。

江戸っ子と湘南ボーイのハーフらしく、スポーツも前へ突進していく、たくましくもスマートな種目に興味を持った。高校時代にはラグビー部を、学習院大学に進むとアメリカンフットボール部を創設した。誰も手掛けないから、新しい組織(部)を自ら作り上げた。社会人になってからは、日本になかった警備保障会社を創業したのだから、パイオニア・スピリット(開拓者精神)こそ、飯田氏の真骨頂だったと言えよう。

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