現代日本人が「いつも時間に追われる」根本原因 文化人類学の視点で「あたりまえ」を考え直す

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マーシャル・サーリンズというアメリカの人類学者が明らかにしたことですが、実は狩猟採集民が狩りや採集を行うのは、非常にごくわずかで、それ以外の時間は休んだり、ゆったりと過ごします。ところが、農耕や牧畜になると四六時中、作物や家畜の世話をしなければならなくなり、むしろ忙しいのです。狩猟採集のほうがその都度、必要な摂取カロリーを満たす分の獲物を手に入れればいいわけですから、そんなに働く必要がないわけです。サーリンズは狩猟採集で暮らした石器人こそ、「原初の豊かな社会」を生きていたと唱えて、私たちの認識を逆転させました。

時間の感覚に乏しい狩猟採集民「プナン」

これは狩猟採集民のプナンにもある程度、当てはまることです。彼らには、平日と休日の区別はありません。私たちは平日は学校に行ったり、働いたりするわけで、かつては日曜だけが休みだったのに対して、週休2日制となり、近年では週休3日制にするかどうかということも議論されたりしています。しかし、プナンにとって、労働の時間と余暇の時間というのは、現代社会のように明確に分けられてはいません。狩猟採集に従事する時間とその他の時間がほとんどシームレスにつながっているのです。

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狩猟採集民であるプナンには、農耕民や牧畜民が作物や動物の成長とともに歳月のめぐりを理解する感覚のようなものがありません。系譜関係などを調べても、記憶しているのは祖父や曽祖父の代くらいまでの、わずか数世代のみです。誕生年や誕生月はまったく覚えていません。それらを記憶・記録する習慣がないのです。

「私は彼よりも先に生まれた」とか「彼は私よりも後に生まれた」と、年齢は相対的なものとして語られるだけです。過去の事件についてそれはいつ頃のことかと聞いても、「お祖父さんが亡くなった直後の頃のことだ」というような答えが返ってくるばかりで、何年前とか何カ月前というような言い方以上のものにはなりません。暦に照らして物事を記憶していることもありません。その意味で、絶対的な時間や暦の感覚を意識していないと言えるでしょう。

これが例えば、農耕民となると、いつまでに種まきをして、いつまでに収穫をして、どれくらいの期間、食物を備蓄することができて……というように、時間の感覚が生まれてくるのだと思われます。もちろんこれは、仮説に過ぎないのですが、このような意味で狩猟採集民は時間感覚が非常に薄い。相対的な時間の感覚しかなく、絶対的な時間の感覚があまりないのです。

奥野 克巳 立教大学教授

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おくの・かつみ

立教大学異文化コミュニケーション学部教授。20代の頃から世界各地を旅し、1998年に一橋大学で博士号(社会学)を取得。桜美林大学国際学部を経て、2015年から現職。

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