現代日本人が「いつも時間に追われる」根本原因 文化人類学の視点で「あたりまえ」を考え直す

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先ほども述べたように、作中でチャックは岩に過ぎ行く日々を刻み付けて、月日の流れを理解します。元来、日付は、人間がそのように決めて使い始めたものだったはずです。

しかし、現代人は、自分たちが作った時計の針の動きを見て時の経過を経験するにもかかわらず、反対に時が経過したから時計の針が動いたのだと考えてしまうことがあります。その時、本来はかたちなどない時の流れを、岩に印を刻みつけたりして暦を作ったり、時計を作りそれに基づいて時間を秩序立てていたりして、自ら人為的に時間の体系を設定していたことをすっかり忘れてしまっているのです。

時間は本来、区切りのない連続体だった

だから、時計の針が止まると、人は時間が経過していないと錯覚するのでしょう。例えば、図書館で本を読んでいる際に、その部屋の時計が止まっていたら、どうでしょう。時計が止まってしまっていると知らずに、人がその時計を見たら、時が経ったとは思わないかもしれません。このようにすでに人は時を刻む時計がなければ、時を経験することができないようになっています。ある意味では、われわれは時計に奴隷化されてしまっていると言えるのかもしれません。人は、自ら作り出した体系や制度などに縛られてしまっているのです。

元来、時の流れというのは「区切りのない連続体」です。そもそも時間というのはカオス(混沌)であり、そのようなかたちのない連続体を一定の間隔で区切ることで、私たちは時間を認識しているのです。時間に限らず、私たちは自分が生きる身の回りの世界を人為的にさまざまに区切り、分類することで、世界自体を認識しているとも言えるでしょう。

まさにそのことによって、時間は個々の人間とは無関係に存在していると捉えられるのです。だから、個々の人間は、区切りのない連続体である時の流れに生まれ落ちて、やがてそこから退場していくとイメージされます。しかし人間が認識できる「時間」というものは、あくまでも人間が人為的に作ったものだったはずです。

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