「特別支援と通常学級の子は違う」を取り払う、インクルーシブ教育の本質 全員特別それぞれ支援必要というマインドで

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さらに、そういう困難を抱える子どもについて、どのような対応がなされているかというと、校内委員会において特別な教育的支援が必要と判断されている推定値は28.7%(高等学校20.3%)で、そこからこぼれた児童生徒は、問題があるとされながら必要な支援の検討自体がなされていないというのが実態です。これは、指導をする教員の不足も理由でしょう。

一方で、この数値は学年が上がるにつれ減少傾向を示します。これは個人に必要な「合理的配慮」が提供された結果なのか、成長とともに困難な状況は改善されていくことを示しているのか明らかではありませんが、そもそも発達には凸凹があり、幼児期に発達障害と言われたとしても、成長とともに問題なく適応できるようになるケースがあるのではないでしょうか。

通級の役割は「選択肢を増やし、困らないようにすること」

そこで、実際に通級の現場で子どもたちを見ている先生に話を伺いました。今回話を伺ったのは、不登校特例校のパイオニアとして注目される岐阜市立草潤中学校で通級を担当している藤井智子先生です。藤井先生は、通級の前身である小学校の言語通級指導教室を皮切りに、特別支援学級や小中学校での通級の指導を11年間にわたって経験されています。

藤井智子(ふじい・ともこ)
岐阜市立草潤中学校教諭

今、発達障害と言われる子どもが増えている理由を、「昔なら元気な子、手がかかる子で済んでいた子が、そういう診断をされるようになったこともあるのでは」と藤井先生。手がかかる子が診断を受けることで、親は「自分の育て方のせいじゃない」と安心でき、適切な手厚い支援を受けられるようになった反面、発達障害というレッテルを貼られて傷つき悩んでいる子も多いと指摘します。

「『できないのはあなたのせいじゃない』という言葉は一見励ましているように聞こえますが、言われた本人にとっては、『自分の脳はみんなと違うから頑張っても仕方ない』という刷り込みになり、自信を失わせているのです」(藤井先生)

通級の役割はその子が生きやすくなるように、選択肢を増やし、困っていることを困らないようにすること。そういう理解は教育現場にもだいぶ広がってきているが、それでもまだ、みんなと同じようにできる訓練をする場という認識が強いのだそうです。

実際通級に通う生徒の中に、こんな事例がありました。その生徒は、文字を書くことが苦手で、宿題や明日の持ち物を連絡帳に書き写すのに手間取り、そのせいで忘れ物が多くて困っていました。そこで、「タブレットで写真を撮ればいいのではないか」と提案したところ、学校は「一人だけを特別扱いして、楽をさせることはできない」と認めなかったのです。

そこで藤井先生は担任に「字を覚えたての小学1年生なら授業の中で字の練習として書き写すことも大事かもしれないが、今回の目的は忘れ物をしないこと。それなら、そのためにどうすればいいのかを考えては?」と話し、最終的にはタブレットで黒板に書かれた課題を撮影することが許可され、その生徒は忘れ物を防げるようになったのです。

しかもこの話には後日談があり、目的から考えることに共感した特別支援コーディネーターの先生の計らいで、学校全体でこの方式を取るようになり、最終的には日直が写真を撮ってクラウドで共有する仕組みができて、情報伝達に漏れがなくなったのだそうです。

「従来、学校は苦労を美徳とし、我慢を強いて、100点を目指して足りないところを埋めるために頑張らせるところがあるけれど、目が見えにくかったら眼鏡を掛けるように、できないことがあるなら、どうすれば困らないようにできるかを考えることが合理的配慮だ」と藤井先生は言います。

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