『城の崎にて』は、極めて短い小説だ。東京で電車に轢かれて大けがをした作家(志賀本人)が療養のために城崎温泉にやって来る。この「自分」は、まず旅館の屋根の上に蜂の死骸を見つける。次に子どもや車夫たちの投げる石つぶてから逃げ惑うネズミを眺める。
そして今度は、自分が間違ってイモリを殺してしまう。
生と死のおぼろげな形が見事に描かれている
要約すれば、ただこれだけの話である。だがそこに、その描写のそのものに、生と死のおぼろげな形が見事に描かれる。
志賀直哉の、とりわけ『城の崎にて』におけるもう一つの功績は、「心境小説」と呼ばれる分野を確立した点にある。田山花袋を開祖とする私小説から、自虐的、暴露的な要素を除いて、さらに文学としての純度を高めたところに志賀の一つの達成があった。
志賀は明治の作家には珍しく88歳の長寿をまっとうし1971年に亡くなった。ただし唯一の長編小説『暗夜行路』を含めて、主要な作品は、ほぼ戦前に書かれている。
志賀直哉が逗留した旅館「三木屋」に行くと、この文豪が滞在した部屋を今も見ることができる。また城崎温泉の若い経営者たちは、「本と温泉」というNPOを設立して出版事業なども手がけている。
城崎温泉には志賀直哉以外にも、古来、たくさんの文人墨客が訪れ、作品創作のためのインスピレーションを得てきた。今、アートセンターが世界中から芸術家を集めているのは偶然ではない。
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