35歳でこの世を去った「芥川龍之介」時代の混迷 「心境小説分野」を確立した志賀直哉も解説

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

『城の崎にて』は、極めて短い小説だ。東京で電車に轢かれて大けがをした作家(志賀本人)が療養のために城崎温泉にやって来る。この「自分」は、まず旅館の屋根の上に蜂の死骸を見つける。次に子どもや車夫たちの投げる石つぶてから逃げ惑うネズミを眺める。

鼠が殺されまいと、死ぬに極った運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。

そして今度は、自分が間違ってイモリを殺してしまう。

自分は蠑螈を驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。自分は踞んだまま、傍の小鞠程の石を取上げ、それを投げてやった。自分は別に蠑螈を狙わなかった。狙ってもとても当らない程、狙って投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考えなかった。(中略)蠑螈は死んで了った。自分は飛んだ事をしたと思った。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了ったのは自分に妙な嫌な気をさした。

生と死のおぼろげな形が見事に描かれている

要約すれば、ただこれだけの話である。だがそこに、その描写のそのものに、生と死のおぼろげな形が見事に描かれる。

生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。

志賀直哉の、とりわけ『城の崎にて』におけるもう一つの功績は、「心境小説」と呼ばれる分野を確立した点にある。田山花袋を開祖とする私小説から、自虐的、暴露的な要素を除いて、さらに文学としての純度を高めたところに志賀の一つの達成があった。

名著入門 日本近代文学50選 (朝日新書)
『名著入門 日本近代文学50選』(朝日新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

志賀は明治の作家には珍しく88歳の長寿をまっとうし1971年に亡くなった。ただし唯一の長編小説『暗夜行路』を含めて、主要な作品は、ほぼ戦前に書かれている。

志賀直哉が逗留した旅館「三木屋」に行くと、この文豪が滞在した部屋を今も見ることができる。また城崎温泉の若い経営者たちは、「本と温泉」というNPOを設立して出版事業なども手がけている。

城崎温泉には志賀直哉以外にも、古来、たくさんの文人墨客が訪れ、作品創作のためのインスピレーションを得てきた。今、アートセンターが世界中から芸術家を集めているのは偶然ではない。

平田 オリザ 劇作家 演出家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

ひらた おりざ / Oriza Hirata

1962年東京都生まれ。国際基督教大学(ICU)教養学部に入学。在学中に劇団「青年団」を結成し、戯曲と演出を担当。卒業後、こまばアゴラ劇場の経営者となる。日本各地の学校において対話劇を実践するなど、演劇の手法を取り入れた教育プログラムの開発にも力を注ぐ。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている自身のワークショップの方法論は、多くの子どもたちが教室で演劇をつくるきっかけとなった。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事