「平家にあらずんば人にあらず」放言した男の末路 公家でありながら武士の力で成り上がり…

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この「人非人」という言葉、今では「人の道に外れたことをする人、人でなし」の意味で使われることが多い。

しかし原義は仏典の「八部衆」だ。八部衆とは仏法の守護神で天、竜、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらか)を表す。彼らは元々古代インドの悪魔、鬼神であったが、仏教に帰依した時に人の姿に変じた。ゆえに彼らを「人非人」と称した。

低身分という含意

中世文学研究者の御橋悳言(みはしとくごん)の『平家物語略解』(宝文館、1929年)は、「平氏の門族にあらざる者をこの人非人(八部衆)になぞらへて、果報のつたなきを言へるなり」と解説している。元々は八部衆を指す言葉が、『平家物語』では転じて、人並み以下の者という意味で用いられたのである。

この用例は、鴨長明(かものちょうめい)の歌論書『無名抄(むみょうしょう)』にも見られる。本書には、中原有安(ありやす)から長明へのアドバイスが載っている。

その中に「何事も好むほどに、その道に優れぬれば、『錐囊(きりふくろ)にたまらず』とて、その聞こえありて、しかるべき所の会にも交はり、雲客月卿(うんかくげっけい)の筵(むしろ)の末に臨むこともありぬべし。これこそ道の遷度(せんど、先途)にてはあれ。ここかしこの人非人がたぐひに連なりて、人に知られ、名を挙げては、何かはせん」という一節がある。

歌詠みの才能がある長明に対して「呼ばれたからといってどこにでも顔を出すのではなくて、場所を選べ」と忠告しているのだ。

「雲客月卿」とは殿上人(てんじょうびと)、公卿(くぎょう)という貴族のこと。高位高官の貴人が主催する格式ある歌会に出るべきで「人非人」が集まる歌会には出るな、と語っている。ここでは身分の低い人という意味で使われ、時忠の言葉の「人非人」にも同様の含意があると思われる。要するに、平家一門でなければ高い地位を得て、この世の栄華を味わうことはできない、という主張だ。

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