孤高の努力家・滝沢秀明、涙してしまう「その人生」 「嵐・櫻井翔」に嫉妬され、「Snow Man」に慕われた

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16歳の頃には、ジャニー喜多川の指名により全体をまとめるリーダーの役割を果たすことになる。滝沢がリーダーを務めていた頃のジュニアは、初めてテレビ朝日系列のゴールデンタイムで『8時だJ』という冠番組を持つなど、ひとつの集団としてその人気が一気に高まっていったのである。滝沢はその中でジュニアを象徴するような存在となった。

当時のジュニアの中には、現在の「」や「関ジャニ∞」、生田斗真風間俊介といった、30~40代の現在も事務所を支える面々が多数いる。その中でも滝沢がいかに大きな存在だったかというエピソードは、枚挙にいとまがない。

たとえば、自身もデビューを待つジュニアでありながら、1999年の「」のデビュー時には、事前にジャニー喜多川から相談を受けていた。「」のメンバーがジュニアから巣立ったことによって、今後はジュニアという存在をどのようにしていくべきか、といったことも考えていたという(TBS系列「中居正広のキンスマスペシャル」2018年12月28日放送)。

そのためか、「」がCDデビューを果たした後の2000年になっても、滝沢がリーダーで、その脇を「」のメンバーが支える『ガキバラ帝国2000!』(TBS系列)という番組が放送されるなど、しばらく滝沢が同世代以下のジャニーズを引っ張る構造は持続していた。

「櫻井翔」や「村上信五」に抱かせた思い

ちなみに滝沢と同い年で、半年遅れで入所した「」の櫻井翔は、滝沢の人気に「努力する意味あるのかな?」と戦意を喪失させるほどのものがあったと語っている(TBS系列『櫻井・有吉 THE夜会』2016年7月14日放送)。

さらには現在の「関ジャニ∞村上信五は、当時「周りには嵐とかタッキー&翼がいて、歌っても踊っても、オーラや華も全然違う」(『女性自身』2015年6月9日号)と、自分の立ち位置に悩んだという。その後、当時空いていた“ジュニア内のツッコミ”の役割を担うことを決め、それが現在に繋がっている。

「ジャニーズJr.黄金期」と言われる時代の人気を牽引した滝沢秀明。その滝沢と、周囲のメンバーは相互作用を及ぼしあってきたのだ。滝沢へのライバル意識や一種の諦念のようなものが、現在の「」や「関ジャニ∞」をつくっている。滝沢がいなければ、今の彼らは生まれなかったと言ってもいいだろう。

滝沢自身は、松嶋菜々子とダブル主演した1999年の『魔女の条件』(TBS系列)で最終回の視聴率が29.5%を記録するという社会現象を巻き起こし、2002年には「タッキー&翼」としてCDデビュー。2005年には22歳で『義経』(NHK)に主演し、大河ドラマの単独主演の最年少記録を塗り替えた。

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