藤田:もう47歳になる年ですからね。いろいろなことがありました。そして、こんなことを自分から言うのもナニですけど、今が一番コンビの状況が良いと思っています。
一つの大きな節目となったのは2007年でした。僕らの頃は「M-1グランプリ」は結成10年までしか出られなかったので、準優勝という形で終えたその年で「M-1」にはもう出られない。
「M-1」を高校野球で言うところの甲子園だとしたら、もう高校を卒業してしまったのでそこを目指すことはできない。ここでまず目標を失ったんです。それでも漫才をやった方がいいのか、テレビへのシフトを目指した方がいいのか。揺れまくってました。
高校野球が終わっても、そこからプロ野球、さらにはメジャーリーグみたいな世界もその上にはあるわけです。本来、そこを目指すしかないんですけど、なかなかうまく進めないというか。
いくら「もう『M-1』はないけれど、何より、お客さんのためにやるんだ」と頭で思っても、本当に正直な話、心の奥の思いと合致していないから板についていないというか……。
「M-1」ロスとの葛藤
大村:実際、揺れてたし、その頃は本当によくケンカもしましたね。
藤田:ネタの全国ツアーをするにしても、当時は「それは大村が勝手にやってるだけだろう!」と強く当たったりもしてました。
大村:当然、僕にも「M-1」ロス的な思いはありましたけど、進むしかないですからね。若手の漫才から中堅、ベテランとその時に合った漫才をやっていかないといけない。ただ、それは一朝一夕にできることではないから、もう「M-1」はないけれど、ツアーをやったり、イベントをやったりして積み重ねていくしかない。それを貫いてきたつもりです。
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