SNSの「ウケる物語推し」が招く「怒り消費」依存症 旧石器時代と同じセンセーショナルな悪者探し
今世紀初頭に匿名掲示板に群がっていたネット右翼は、「リベラル」で「知的」なはずの人たちの嘲笑と憐憫の対象だったはずです。ところが7月、SNSでは後者が、前者に20年遅れで追いついたかのように陰謀のストーリーにうち興じていました(いまもです)。
人間の「自由意志」を操作する下部構造
ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』(月谷真紀訳、東洋経済新報社)が私のもとに届いたのは、そのころでした。
その本を読んでいるあいだに、東京大学の先生が聴衆の面前で「学問の自由の制限」や「キャンセルカルチャー」を擁護した講演が動画サイトにアップロードされ、大いに話題になりました。
陰謀論とキャンセルカルチャー擁護論のただなかの、タイムリーな訳書の刊行でした。
東洋経済オンラインではすでに本書は、ベンジャミン・クリッツァーさんの「『陰謀論の魔力』に感情を操られてしまいがちな訳 「物語」そのものに内在する「副作用」とは何か」でていねいにレヴューされています。
本稿ではなるべく話題がかぶらないように、本書を「人文書」として意味づけてみたいと思います。
ゴットシャルは本書で、コロナ禍の人々の行動やトランプ旋風、ポリティカル・コレクトネス、ハッシュタグ・アクティヴィズムなどを論じつつ、人間という動物ならではの「ある性質・性向」を強調しています。
どういう性向かと言うと、「人間は、ストーリーの形でしか世界を理解できない」「理解した気になるためなら、荒唐無稽なストーリーにいくらでも飛びつく」ということです。
そしてその性向は、当人の意志を超えて存在します。というか、人間の土台にはまずその性向があって、それが人間の意識を操作している。
僕は『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(ともにちくまプリマー新書)の2冊で、
「人間は生きているだけで、不可避的に二酸化炭素を合成してしまうのと同じように、不可避的にストーリーも合成してしまう」
と書きました。
いっぽうゴットシャルはストーリーテリングを酸素に譬えています。
『スター・ウォーズ』で善悪両面あった「フォース」同様、ストーリーは人間にとって〈必要不可欠な毒〉(『ストーリーが世界を滅ぼす』27頁)であり、それは生きるのに必要な酸素が、同時に、累積的に人体にダメージを与え続ける危険な物質でもあるのに似ている、というのです。
人間は自覚できる意識の部分を、「自由意志」などと称したりしています。偉そうに。
しかし、意志決定は当人の自由にあるというより、かなりのところ土台にある無意識的・反射的・情動的な世界解釈(意図して選んだのではないストーリー)に掌握されている、というのが実情のようです。
当人には「意識」の部分しか見えません。それはちょうど、建物のなかにいると、自分が立っている床は見えても、それを支える基礎部分が見えないのと同じです。
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