日本企業の「戦略暴走ケース179編」に何を学ぶか 戦略論は容易なのに実際の戦略は難しい真因
各々のケースを記述するにあたっては、フォーマットを標準化するように心がけた。まず暴走案件の「顛末」を記したうえで、その背後に控える「主役」を特定し、最後に「盲点」に関する私なりの解釈を述べるのが標準形である。
ケースの命は読者が自分の判断を形成するのに資するコンテクスト情報にあるので、欄外には必ず企業情報と人物情報を盛り込むようにした。全体として記述量を削っているため、本書のケースは概論にすぎない。各ケースで本当は何が起きたのかを考え抜く作業への招待状と、私自身は位置付けている。
経営学者は一般に再現性を重んじる。ゆえに人を超えた力学に関心を向ける傾向が強く、固有名詞を語らない。しかし、それでは受講者を主役に据えた経営教育が成り立たない。そう考えて、ここでは敢えて実名を記載することにした。
だからと言って、これを断罪の書と誤解されては困る。○○氏が悪いで済ませては、それこそ教訓を得ることなど望めないからである。主役を不意討ちにした「落とし穴」をのぞき込むことにより、盲点の怖さを知り、将来への備えとする。そこにこそ、この本の趣旨がある。
歴史の本質を問い詰めたエドワード・H・カーが語るように、歴史とは事実の選択と配列を通した解釈であり、また、解釈に携わった歴史家による評価に他ならない。そう考えて、179のケースを記述する際は、新聞記事の選択と配列を重視すると同時に、臆することなく私個人の評価を記すようにした。暴走した当事者から見れば別の解釈が成り立つであろうことは、重々承知のうえである。
議論の進行例
私が教室で積んだ経験に基づいて、講義の進行例を記しておこう。大学や企業、または勉強会で講師役を務める方々にティーチング・ノートとして活用していただければ幸いである。
まず、受講者に投げかける設問としては、次の2つを推奨しておきたい。要点は、傍観者や評論家のような物言いを封じ込めるところにある。
(1)自分をケースの主役の立場に置いたとき、何をするのか。状況を打開するために、何を代案として推し進めるのか。
(2)ケースの主役がテーブルの反対側に座っていると仮定したとき、暴走を未然に食い止めるために、どのような議論を突きつけるのか。
2つのうち、どちらが適切かはケース次第で変わるので、そこは適宜判断していただきたい。いずれにせよ、主役を固有名詞で識別し、臨場感を盛り立てると、議論は白熱する。
設問に対する回答を受講者から引き出したら、次は回答の是非を多角的に精査する。「主役が情けない」とか、「組織として事前の検討が不十分である」と思い込む受講者を放置しては、講師役はいないに等しい。彼らが経営や戦略の難しさを悟るまで、講師は質問を畳みかけなければならない。
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