日航機墜落現場を写した私が伝え続けたい記憶 37年前の御巣鷹山を取材したカメラマンの写真

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圧力隔壁が疲労によって破壊されたことで垂直尾翼がなくなってしまい、方向感覚を失ってアンコントロールに陥って機長らの決死の操縦も力付き墜落した。とマスコミも事故調査会もボーイングも最終結果を発表している。

僕は1987年2月からアメリカへ家族とともに移住した。大学時代からの親友がゴルフ関連のディレクターをしていた関連で、1999年の全米オープンゴルフ選手権を取材した。42歳のゴルファーであるペイン・スチュワートは最終日の18番ホールで難しいパーパットを沈め、8年ぶり2度目の優勝を飾った。

JAL123便の524人は意識があった

その年の1999年10月25日スチュワートはフロリダから2時間の予定でダラスに、チャーターしたプライベートジェット機で向かった。しかし彼を乗せた小型ジェットは飛行中、管制官の無線に応答しなくなり、最終的にサウスダコダ州のアバディーンの山中に墜落した。

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この事故原因は、内部隔壁の破裂異常で高度1万メートルでの酸素がなくなり、パイロットの意識が損失したまま飛行を続けて、ガス欠により墜落したと報告された。後ろにはアメリカ軍の戦闘機がミサイル発射の準備をして追跡していた。衝撃的な事故だった。

これでわかるように高度1万メートルで内部隔壁が破裂すると全員酸素不足で失神してしまう。JAL123便に乗っていた524人は意識があった。ダッチロールしていた34分間で人生の短い言葉や家族への感謝やお願いや希望を書いた。僕はどう考えても、何かの原因で、垂直尾翼そのものが破損したと思っている。駿河湾にその垂直尾翼も未だ眠ったままだ。

そしてこれはずっと伝え続けなければならない記録として、今年も当時撮影した写真(冒頭と合わせて計28枚)を最後に残しておきたい。

この記事の画像を見る(28枚)

(外部配信先では写真を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

(撮影:小平尚典)
(撮影:小平尚典)
尾根から墜落現場を確認(撮影:小平尚典)
望遠レンズで確認できた、JALの文字が見える飛行機の翼(撮影:小平尚典)
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