三菱重工が長崎造船所にメスを入れる理由 深刻な苦境にある民間船舶事業を分社化
三菱重工業の祖業である造船部門が苦境にあえいでいる。同社は2月4日、巨額赤字に陥っている民間船舶(商船)事業を、10月1日付で分社化すると発表した。関連人員を大幅に削減するとともに収支を明確化し、経営体質の改善を進める。
対象は造船の中核拠点、長崎造船所。香焼(こうやぎ)地区で手掛ける商船事業を切り出し、「営業・設計・建造」と船の骨格部分を造る「船体ブロック製造」の2社に機能を分割。当該従業員約1100人のうち、新会社への移行は最大700人にとどめ、組織の規模自体も縮小する。2社は三菱重工の100%子会社とし、現時点で他社からの出資受け入れは考えていないという。
長崎造船所は三菱重工のルーツ。1884年に創業者の岩崎弥太郎が明治政府から長崎造船所を借り受けたのが、同社の出発点だ。1972年に近隣の香焼地区にも造船所を立ち上げ、現在は本工場で護衛艦などの艦艇、香焼工場でLNG(液化天然ガス)運搬船など民間船舶を手掛ける。
客船2隻で巨額損失
その長崎造船所にメスを入れるのは、商船事業の不振が深刻だからだ。
韓国・中国勢との競争激化を受け、三菱重工の造船部門は2012年にコンテナ船など汎用商船から撤退。技術難易度が高く競合が少ない船種への集中を掲げ、得意とするガス運搬船に加え、資源探査船と大型客船を新たな柱に育てる戦略へ舵を切った。
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