日本人に伝えたい「チバニアン命名」の凄さの本質 「地磁気逆転」の明瞭な痕跡が命名の決め手に

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しかし、松山の仮説は学会に受け入れられず、注目を集めることはありませんでした。日本で「地磁気逆転の発見者」といえば松山の名が挙がりますが、正確には松山が発表するおよそ20年前の1906年に、フランスの物理学者ベルナ―ル・ブルンが発表したのが最初です。

ブルンの発表も松山と同様に不評で、この後地磁気についての研究発表をやめてしまったので、おそらく松山はブルンの成果を知らずに独自の研究で同じ結論を得ていました。また、ブルンは磁極が逆転していた時代がかつて一度あったとの推論でしたが、松山はくり返し起きていたと指摘していたことが評価されています。

松山の発表から20年以上経って事実が受け入れられた

地磁気が逆転してきたという事実が受け入れられるのは、松山が発表してから20年以上経った1950〜1960年代になってからのことでした。このころ可能になった溶岩の詳細な年代測定により、世界各地の正・逆に磁化された岩石は、同時期のものはすべて同じ向きに磁化していることが判明したのです。

その後、地磁気逆転の歴史を記した「地磁気極性年代表」が作られ、地磁気の逆転は過去600万年の間に少なくとも22回起きていることがわかりました。現在では、ある程度同じ極性を持つ期間を「磁極期」とし、先人の功績に敬意を表して「ブルン正磁極期(現在)」「松山逆磁極期」「ガウス正磁極期」「ギルバ―ト逆磁極期」と呼んでいます(ガウスとギルバ―トは地磁気研究の功労者)。

話をGSSP認定レ―スに戻します。地質時代の区分はその時代に繁栄した古生物で決められるのが普通で、地層から出てくる化石の変化で判定します。しかし、チバニアンが含まれる第四紀(約260万年間)は、ジュラ紀(約5600万年間)や白亜紀(約7900万年間)と比べるととても短いので、出てくる化石の種類に大きな違いがありません。

そこで第四紀は気候の変化や古地磁気の状態で区分しています。チバニアンの始まる77万年前は松山逆磁極期がブルン正磁極期に切り替わる時期なので、GSSPはその境界(松山―ブルン境界)が明快なことが1つの大きな条件でした。

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