Jリーグに「2100億円」をもたらした男の東奔西走 コロナ禍の経営難に苦しむクラブを救った
三木谷氏に頼み、アポイントを取ってもらい、Jリーグチェアマンの村井氏が16年7月に英国に向かった。結果、レン氏の保証を取り付け、パフォームとの契約合意に至った。のちにDAZNが立ち上がり、Jリーグはその第1号契約社となった。その後、DAZNはJリーグの実績からブンデスリーガやスペインリーグ、欧州CLなどとの契約に成功し、サッカー界の顔となっていった。
奔走した頃の小西氏は、どうしてもパフォームとの契約をまとめたかった。「大きな金額のほとんどはJクラブの強化費に回せる。Jリーグが世界的なビッグリーグに成長するには、クラブの活性化は必要不可欠」。幕末に英国留学し、近代日本の礎を築いた伊藤博文、井上馨ら「長州五傑(ファイブ)」にちなんで、16年2月にJリーグ内で「チーム5(ファイブ)」を結成した。小西氏を筆頭に常務理事で放映権担当役員・中西大介氏、放映権担当・樋口順也氏、映像関連に強い勝澤健氏、岩貞和明氏の実動部隊のわずか5人でスペシャルチームを組んで、法律的なことから現場の細かいことまで1つずつクリアしていった。
契約がまとまりかけた時、大きな障害があった。Jリーグはある程度の試合数を有料ではなく、NHKや民放各局でも放送可能にしたかった。しかしDAZNは「こんなに膨大な金を払うのにそれはできない」ときた。小西氏を中心にチーム5はそれぞれの立場から、現場で日本の放送事情、スポーツ文化などを説明し、将来的には契約者を増やすための投資戦略的な施策との名目で、DAZN側を納得させた。
今年3月に独立、スポーツコンサルの道へ
その小西氏は今年3月、4年間務めたJリーグ特任理事と株式会社Jリーグ社長を退任した。そして「株式会社小西FC」を設立。スポーツコンサルティング会社でサッカーやバスケットボール、スポーツ映像制作、デジタルゲームなど、スポーツにかかわる事業を展開している。
「今後も日本のスポーツ環境がよりよくなり、子供たちが将来スポーツを通じて夢が膨らませられるような環境をつくっていきたい」
DAZNを日本に定着させた男の第2の人生。その新たな挑戦が実れば、日本のスポーツ環境はさらに改善され、スポーツ関連の仕事を本職にできる子供たちを増やすことができる。スポーツ王国を目指す小西氏の新たな挑戦は始まったばかりだ。【盧載鎭】
◆小西孝生(こにし・たかお)1959年(昭34)11月15日、東京・中央区築地生まれ。83年に慶大法学部卒業。出版社、映像通信会社に勤めた後、92年Jリーグに入社。00年に日本サッカー協会へ事業部長として出向。04年にJリーグに復帰し、Jリーグメディアプロモーション、Jリーグホールディングスの社長などを歴任。18年から22年3月までJリーグ特任理事およびJリーグ社長。退任後、スポーツコンサルティング会社「小西FC」設立。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら