マザウェイズはなぜ破産したか?創業社長の独白 1粒でも雨が降ると商売に響く会社経営に疲れた
当時のアパレル業界は、メーカーが企画・製造したものが、卸を通して店頭に並ぶのが当たり前でしたが、うちは海外企業とFCで直接取引していましたから、そんな国内事情はよく知りません。ですからすぐに「自分たちで作って売ればいいじゃないか」と考えました。
日本人のデザイナーを雇って子供服をデザインしてもらい、中国の工場で作り、そのまま輸入して店舗に並べる。つまりSPA(ユニクロなどと同じ製造小売業)です。
物流も、自前のトラックで物流センターから直接デリバリーできるようにしました。商品点数は他社に比べて多かった。大型店は年間、つまりオールシーズンで約1000種類のアイテムを置くのが一般的でしたが、マザウェイズの場合は、ワンシーズンで3000アイテムを置きました。
服だけでなく、靴下や長靴、下着やパジャマまで。シーズンは春夏と秋冬の2回ありますから、年間で6000から7000のアイテムを扱っていました。
私はそれらの商品すべてに携わっていました。商品企画・デザインの段階、サンプルの段階、最終商品の段階と3回チェックするのがいつものことでした。社長なんだから、そんなもの人に任せればいいじゃないかと言う人もいましたが、 商品の良しあしが売れ行きを決めます。手は抜きませんでした。
経営はとても順調で、大体、年間7、8店舗のペースで出店を続けていきました。 その頃は経常利益率は10%ぐらいあり、20億円売ったら2億円、50億円売ったら5億円というように利益が出た。こう言っては何ですが、非常に消費者から支持される会社になっていると思っていました。
子供はいつか卒業する
しかし、気がかりなこともありました。
気がかりなこととは、子供服特有の課題です。
子供服の欠点の1つは、「子供はいつかは卒業する」ということ。服のターゲットが0歳から10歳までだったら、子供が10歳を超えるとお客さんでなくなってしまう。 1年前に何万円もの服を買っていただいていても、それがどこかでゼロになる。ですから、常に新しいお客さんに対してリクルートしていかなければいけない。
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