2003年にプーチンはウクライナ侵攻を目指した プーチン元側近が語る、ウクライナ侵攻の動機

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2008年4月、ルーマニアのブカレストで開催されたNATOサミットで演説するプーチン大統領。この時、ウクライナを自国のものとしても西側は反発しないと考えたという(写真・Bloomberg)

なぜウクライナ侵攻に踏み切ったのか。戦争の最終的目標は何なのか。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の真意についてはまだ謎の部分が少なくないが、実は2003年からウクライナ攻撃を目指していたとの証言が2022年5月末に飛び出した。さらにウクライナ攻撃という強硬姿勢への転換の背景には、2003年のアメリカによるイラク戦争があったこともわかった。

このような証言を行ったのは、プーチン氏の経済問題顧問を務めていた元側近のアンドレイ・イラリオーノフ氏だ。以下、その内容を紹介する。

プーチン氏の経済顧問の激白

イラリオーノフ氏は2000年から2005年までプーチン大統領の経済顧問を務め、当時主要国首脳会議(G8)メンバーだったプーチン氏の個人代表も務めた。現在は反政権派の主要な論客でアメリカ在住。ユーチューブなどで積極的にプーチン氏批判を展開している。

イラリオーノフ氏によると、2000年に大統領に就任したプーチン氏は当初、相次ぐテロ事件やチェチェン戦争があったため、関心は国内に集中していた。当時は対米関係が好転していた時期だったので、対外政策面では米欧との関係に集中していたという。

イラリオーノフ氏によると、プーチン氏は当時からウクライナについては「国家とはみなしていなかった」が、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟問題もとくに重要視せず、反対していなかった。確かに2002年に当時のウクライナのレオニード・クチマ大統領との共同記者会見でも、「これはNATOとウクライナが決める問題」と言い切っていた。

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