いいかげん「仕事メールの無駄マナー」根絶しよう 経済衰退をもたらす「日本人の抜きがたい悪癖」

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中には、会社名、所属部署、そして名前まで、名刺に記載されていることをすべて書くのが「正しい礼儀作法」だと思われている人もいるかもしれませんが、それは大いなる誤解です。

そもそも、メールという文化が生まれてまだ数十年しか経っていません。宛名をどう書くのが正しいという「古式ゆかしい伝統的な礼儀作法」なんて、存在しないのです。

さらに言うと、実際に先のような長い宛名を書く際には、誤記のないように気を遣わなくてはいけません。これには意外と手間がかかります。

一方、先ほどのような長い宛名をつけることで、何かメリットが生まれるかというと、そんなものは一切ありません。反論もあるかもしれませんが、申し訳ありませんが、少なくとも私には皆目見当もつきません。

つまり、長い宛名というのは、労力がかかる割に、一切の見返りが生じない、究極の「無駄マナー」なのです。

おそらく、こういう長い宛名を、何の疑問も持たずにメールにつける人の多くが、郵送の際の宛名書きと同一視しているのではないかと思います。しかしそういう人は、完全に思考が停止していると言わざるをえません。

会社へ送られてくる郵送物はいったん1カ所に集められ、そこで部署ごとに仕分けられるので、宛名に部署名が記載されていたほうが、受け取る側に親切です。

一方、メールは通常1人ひとりにアドレスが振り分けられているので、部署名を書く必要はまったくありません。たまにおっちょこちょいな人がいて、他の人へ送るべきメールを間違えて別人に送ってしまったりもするので、自分宛てに来たメールか否かを判別するために会社名と個人名くらいは書いたほうがいいとは思いますが、それ以外は一切不要でしょう。

メール宛名の無駄マナーは「日本人の悪癖」の象徴だ

こんなことは、ほんの少し考えれば、誰にでもわかることです。ではなぜ多くの人が、いまだに長い宛名をメールにつけて送っているのでしょうか。

実は私は、今の日本人が抱える「ある悪癖」が、このメールの宛名に凝縮されているのではないかと考えています。その「悪癖」とは、肩書きやポジションを「その人自身」よりも確実なものとみなしているということです。

旧来の日本の組織では、何よりも肩書きやポジションが重視される傾向がありました。管理職かヒラか、〇〇部か××部か。それが時には「身分」のように機能し、誰もが相手を「その人自身」としてではなく、「ポジション」としてしか認識しなくなっているのです。

このことは、変化が少なかった2000年代以前では、それなりに合理的な仕組みだったと考えることもできます。

なぜなら、変化が少ない時代では定型的な仕事が多くなるので、担当者が変わっても同じ仕事ができる仕組みのほうが都合がいいからです。相手の素養や資質よりも「ポジション」を重視するのは、そんな時代の名残りなのです。

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