香港市民が「新リーダー」に抱く多すぎる不安要素 今まで警察や保安局以外の部局での経験がない
そんな彼を「唯一の候補者」と指定こそしたものの、その直前まで中国側にも実は躊躇があったと思われるフシがある。
というのも、これまで1997年に中国に主権が返還されてからずっと、香港の行政長官は中国政府が後押しする人物が当選してきた。
2017年の林鄭氏の参戦を振り返っても、彼女は例年3月に行われる長官選挙への立候補の意志を前年の12月に明らかにし、1月に入ってすぐに政務長官を辞して出馬準備を開始した。さらに立候補受付が始まる2週間前にはすでにマニュスクリプトをまとめて発表して、対立候補たちとの選挙戦に臨んでいる。
だが、李氏は、4月3日に立候補の正式受付が始まっても出馬の意志を公表しなかった。6日になってやっと中連弁関係者と面談して「唯一の候補者」の指名を取り付け、その日の午後に政務長官を辞任して出馬を表明。マニュスクリプトに至っては投票の約1週間前にあたる4月30日にやっと発表した。
つまり、李氏陣営も、また彼のバックアップを決めた中国政府側も、「唯一の候補者」指名発表までほぼなんの準備も進めていなかったことが見て取れる。
それだけではない。遅れに遅れたマニュスクリプトとともに発表された参戦スローガンは、中国語では「我和我們」(わたしとわたしたち)と呼びかけられているのに英語では「We and Us」になっており、多くの人たちが「意味不明」「言葉として通じない」とクビをひねるものだった。
李氏の陣営にも疑問符
このほかにも、選挙戦で李氏陣営が発表した広報資料やSNSでのキャンペーン発言などを、メディアのプロたちが分析したところ、使われていた言葉の稚拙さや矛盾する言い回し、さらには中国語として通用しない文調などが続出。巷では多くの人たちが、「李氏の陣営には、キャンペーンのPRや政策広報に長けた人材がいないようだ」と論じられた。
これまでの候補者は、いくら中国政府が推す候補者が当選する慣わしであろうとも、曲がりなりにも選挙戦を戦う者として政策発表に手慣れたスタッフたちを集め、政策やスピーチ原稿を練りつくして発表したが、李氏の選挙戦(のゆるさ)はこれからの行政責任者としての期待を大きく覆すものだった。
もちろん、今回は対立候補がいない選挙戦という「ゆるみ」もあっただろう。これまでのように候補者同士が政策を競ったり、ライバルを詰問したりという光景は存在せず、政策への問答も動画で投げかけられたものに李氏が答える形で、一問一答ですべてが進められた。
その分、当然ながら庶民が李氏という人物やその政策への理解を深めるチャンスは削られ、冒頭に書いたような一方的投票の結果、彼は「順当に」次期行政長官に選出されたのだった。
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