永守重信・日本電産社長--365日、朝から晩まで母に教わった全力疾走(上)

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 あらためて柳井が言う。「永守さんは若いときの志がまったく変わっていない。先生であり、同志であり、そしてライバルだと思う」。

永守も兄弟2人に畏敬の念を抱いている。「柳井さんは中国で賃上げストが広がっても、気にしない。関係ないだろう、とバーンと出て行きよる」。時価総額200兆円へ邁進する孫の迫力も圧倒的だ。「孫さんがほら吹きの大学生、柳井さんが高校生なら、僕は小学生や」。

兄弟2人に闘争心をビシバシ刺激され、永守はまた燃えるのである。

夫人も困惑する猛烈ぶり 経営人生最大のピンチ

永守は言い切る。「365日、朝から晩まで、ずっと燃えている」。それも、創業以来ずっと、だ。

1973年に仲間と4人でスタートした日本電産は、今やグループ会社140社、社員総数10万人に膨れ上がった。小型・高効率のブラシレスモーターをメインに、HDD(ハードディスク駆動装置)用モーターで75%の世界シェアを握る。

成長のバネは、30件にも上るM&Aだ。永守の手にかかると、“死に体”企業が瞬く間によみがえる。しかも、生首はいっさい切らない。永守マジックの到達点=10年度の売上高7000億円、営業利益1000億円(会社計画)。元祖ベンチャー企業は大企業へ変貌した。

が、大企業になっても、永守は変わらない。ネアカであること。極限のハードワーカーであること。

脱サラし、起業した時点で永守は手痛い挫折を経験している。10人はついてくると思ったが、行動を共にしたのは半分以下。「応援する」と言ってくれた取引先も全部、逃げた。これが世間というものか。が、すぐに前を向くのが、永守だ。

「机は必ず南向き。太陽に向かって座ると決めているわけ。6年間のサラリーマン時代も、その方針を貫いたわけですよ」

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