かつては利用され、軽くあしらわれた政治家たちが、官僚や日銀への逆襲を始めている。
年が明けたので、ちょうど四半世紀前のことになる。
1997年1月21日、旧首相官邸の大食堂。28人の政治家がぐるりとテーブルを取り囲んだ。
4人の首相経験者をはじめ蔵相、官房長官などの主要閣僚、幹事長や政務調査会長ら自民党の重鎮など。財政構造改革会議の第1回会合だ。首相の橋本龍太郎がこう口火を切った。
「国民に受け入れられる財政再建計画の策定、および財政構造改革法の骨格を取りまとめていただきたい」
1月とはいえ、この日は日中、南西の風が吹き最高気温が15度近くまで上がった。部屋の中の政治家たちも財政再建にどう取り組むかを熱く論じ合った。議事録によると、会議に参加した長老たちが相次いで発言している。
「問題はこれを断行する内閣の強い意志だ」(中曽根康弘元首相)
「シーリング(概算要求基準)で5年間一般歳出の伸びをゼロにするなどして赤字国債を脱却できた」(竹下登元首相)
「次の世紀に誰かに考えてもらうのではなく、われわれが責任を負うべき問題だ」(宮澤喜一元首相)
積極財政派と目されていた宮澤までがそう発言している。流れは決定的だった。
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