自民の失政の責任が不問とされた総選挙。来年の参院選に向け、野党に必要なことは何か。
10月末の衆議院選挙では、自民党が議席を減らしたものの安定多数を維持し、立憲民主党は予想外の敗北を喫した。本稿では、今さらの感があるかもしれないが、新型コロナウイルス危機の後の最初の国政選挙という機会に、未来に向けた有意義な選択ができなかったことの意味を考えておきたい。野党の指導者は言い訳をしていないが、私はあえて負け惜しみを書き連ねようと思う。
新型コロナウイルスが人類を襲って、もうすぐ2年になる。人口10万人当たりの死者数を東アジア諸国の中で比較すると、日本は145.0人で、中国の3.2人、韓国の63.9人、台湾の35.3人をはるかに上回り、最悪の数字である(11月20日時点、米ジョンズ・ホプキンズ大学の調査)。とくに、今夏の流行第5波の中で医療崩壊が起こり、自宅療養という名の遺棄によって治療を受けられないまま亡くなった人は多い。助けられる命を失わせたことからも、対策の失敗は明らかであり、日本はコロナ敗戦を経験したということができる。敗戦の責任および今後の対策を問うことが総選挙の最大のテーマだったはずである。
敗戦責任という言葉を使うと、太平洋戦争の敗北と政治の責任という問題を連想する。1950〜60年代に自民党の指導者と親交を結んだ政治ジャーナリスト、後藤基夫(元朝日新聞編集局長)は『戦後保守政治の軌跡』という鼎談の中で、「戦争をやめたのが誰であるか、どういう力だったか」が戦後政治を根本的に規定したと述べている。昭和天皇の聖断という物語を多くの国民は信じ、親英米的な宮中関係者に近い重臣が戦後の政治体制、政治路線の大枠を形づくったというわけである。政策決定過程に関する書類は焼却され、戦争遂行過程の全貌は明らかにされないまま、国民自身による戦争責任の追及も行われないままであった。古い政治体制の崩壊の上に新しい体制を樹立するという作業は、国民にとって自主的、自律的なものではなかった。後藤は、戦後体制のそのような出自が保守長期支配の根底にあると言いたかったのだと私は解釈している。
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